2023年1月25日 水曜日

五時に一度起きたがすぐ寝て、そのあともう一回起きて寝てをやって七時過ぎに起きた。部屋はめちゃくちゃ寒い。目覚まし時計の温度計は8.2℃を示していた。外は氷点下。ただ電気毛布を使っているので、眠るときに暖房を切っているものの寒さで起きるようなことはない。

遅めの昼休みをとって新宿眼科画廊に行く。見たいと思っていた展示が今日の夕方五時までだったので、退勤してからでは間に合わない。眼科画廊は家から近いし、どの道仕事は暇な日だった。外に出るととてもよく晴れている。気温は昼過ぎでも二度か三度くらいしかない。

伊丹小夜さんの絵を見に行くのが最初の動機だった。

そんなに広い会場ではないので時間かからず見終わる。まだ余裕があったので世界堂にも脚を伸ばす。エナージェルの0.7ミリを買う。左利きで横書きしてもインクがこすれないボールペンのひとつ。左利きはSARASAが最高という人もいるけど、私は掠れて使えない。

直線や曲線をお書きになってはペンのほんとうの書き味は判りません ふだんの調子で文字を書いてお選び下さい

世界堂を出るといつの間にだいぶ日が落ちていて、風も強くなっていて、もう気が狂いそうなくらい寒かった。本当に冬ってだめだ。寒すぎる。どの季節が良いかという議論で、「冬は着込めば大丈夫だから」と主張して夏の方がきついと言う人がいるけど、理論上はそうかもしれないけど、冬(の風)を完全にしのげるような格好をしている人を東京ではめったに見ないので、運用としてはそうじゃない気がする。

今日ヒートテックとマフラーと手袋とダウンで、自分の持てる範囲で完全防備に近い格好なのにそれでも寒い。いやさすがに体は大丈夫なんだけど、顔が凍えて涙が出る。夏の日差しは殴られるような感じだけど、冬の強風は刺してくるような感じがする。私は夏の方が全然好きです。夜は当然日差しがないし。冬は夜でも寒い一方だ。

帰宅して仕事を終えて、スーパーでぱっと買い物する。今日の夕飯は自炊をする。豚肉と小松菜を炒めてめんつゆで煮たものと味噌汁。料理のレパートリーがまったくないので大体豚肉と野菜を炒めるだけである。野菜と味付けが変わる。あとは鍋くらいか。もっと凝ったものを作れたら面白いかもしれないが、凝ったものなら外に食べに行くので疲れない食事がしたいという気持ちの方が強い。

ご飯も炊く。米を研ぐのは百均でそれ専用の道具を買ってから手が冷たくなくて大変楽になった。それでも無洗米の方がいいけど。作り置きとかはできないので特段低コストな自炊ではない。単に二人前つくって、半分冷蔵庫に入れて明日も食べるだけである。そのようにして生活は続く。明日は月に一度の出社奨励日。

2023年1月24日 火曜日

朝六時頃に目覚める。早すぎる。しかしそれなりによく眠った。早めに始業する。

午後、仕事の調べ物のため国立国会図書館へ。大学の図書館がかなり充実していたのでこれまで使う機会はなかった。先日、デジタル化資料の個人送信を利用したいなと思って仮登録だけ済ませており、身分証明書の画像を送信するか直接図書館へ行くことで本登録となって資料を閲覧できるのだが、まあ近々行こうと思って放置していたら仕事で行く機会ができたのでラッキーだった。

途中雑な居酒屋でびっくりするほどおいしくないカツカレーを食べ(食後にコーヒーが出てきて煙草が吸えたのはよかった)、地下鉄に乗る。最強寒波襲来と天気予報はさかんに言うもののむしろ春めいた陽気で暖かいなと思った。

国会議事堂前で降りる。相変わらずこの辺りは仰々しい雰囲気。いつだったか、京都から友人が来たとき、京都や大阪になくて東京にあるものはなんだろうと思って国会を見せたことがある。港区や千代田区で働いているエスタブリッシュメントならいざ知らず、実際には都民でもこの辺りに来ることはあまりないと思う。少なくとも私の生活圏に入ったことはない。

国会図書館で身分証を提示して登録を済ませる。館内には鞄は持ち込めないので、パソコンと資料と筆記用具、それから携帯と財布を除いてコインロッカーに荷物を預ける。半透明の、ビニールのバッグが大量に置かれていてそれを使う形。

広々とした館内にはほとんど本はなく、その代わり大量の利用者端末が置かれていて、それを使って資料を請求したり複写を申請したりする。公のものにしてはかなりシステムが洗練されている。迷いどころが少ないし、効率的である。ここはかなり良い空間だと思う。

働いている人の服装も自由だし、なんなら複写カウンターのお姉さんはインナーカラーまでしていてかなりよかった。カウンターまわりはアルバイトなのだろうか。ここでバイトするのはよさそうだな。利用者も利用者で、真剣に調べ物をしている人もいれば、娯楽として本を読んでいるであろう暇そうな人もいて、この感じは大学に似ている。喫煙所がないのだけが残念である。

調べ物を一通り終えるとちょうどよい時間で、早めに始業したので早めに退勤しておく。帰り道、逆方向だがついでに銀座に寄る。国会議事堂前から銀座までは丸ノ内線で二駅。風がものすごく強くて最強寒波の名に恥じぬ寒さになっていた。

『写真』という、まったく検索の難しい名前の雑誌があって、最近その存在を知ったのだが最新号が出たとかで、銀座の蔦屋書店に取り扱いがあるというので確かめに行く。外は寒いのだが、店内では厚着をしていたせいかすごく暑くて微妙に体調が悪くなる。

雑誌は2号と3号だけ置かれていて、それらを読んだ結果これはよいものだと思ったが、1号がテーマとして一番興味があるのに置かれていないので、インターネットで調べたら版元のオンラインショップにわずかながら在庫があるようだったのでそちらを買うことにする。

店内をふらつくと任航(レン・ハン)の写真集があった。規制の厳しい中国本土でヌードを撮っていた写真家で、数年前に若くして自殺した。私は彼が好きで、彼が使っていたという噂のあるフィルムカメラを買ったくらいだが(しかしごくふつうのコンパクトカメラである)、相変わらず写真がよい。しかしこの国でも、性器の直接的な描写は法律に違反する場合もあることを思わずにはいられない。

鳩居堂や伊東屋も冷やかしたかったが、荷物も重いし疲れたので帰る。MIKIMOTOって創業者が御木本でよかったよな、田中だったら今ほど名誉あるブランドだっただろうか、とか田中さんに失礼なことを考えながら地下鉄に。田中貴金属もあるし大丈夫なのかもしれない。晩ご飯を自炊しようかなと近所のスーパーに寄ってみたが、面倒なので惣菜の油淋鶏とサラダだけを買う。本当に凍えるくらい寒い。家に着いてから『写真』の1号を注文した。

2022年1月23日 月曜日

うまいこと朝九時頃に起きる。昼、近所の炭火焼きを売りにした料理屋に行く。店主が一人で店を回していて、お店のInstagramのストーリーで毎日のランチメニューが掲載されている。AセットとBセットが毎日変わり、ほかの料理は固定。今日のAセットは種類は忘れたが魚の煮付けまたは炭焼き、Bセットは豚の生姜焼きだったが、肉が食べたい気分でかつ豚の生姜焼きはこのまえ食べたので、固定メニューのなかから地鶏の竜田揚げを頼む。

十一時半開店で、十二時少し前に行ったのだが店はもうかなり混んでいた。私が座ったら満席になるような感じだった。料理はびっくりするほどおいしかった。そのうえ小皿に刺身もついていて、味噌汁と漬物とご飯はお代わりが無料なのに、これで千円とは。そりゃ人気なわけだわ、と思う。

テーブル席に通されたのだが、右隣は強面のがたいの良い男性と、金髪で小柄で痩せ型の女性で、左隣は近隣に勤めていると思しき女性二人組。左隣の女性たちは両方とも関西出身らしく、ときおり西の方のアクセントの片鱗を見せながら、ひたすらテンポ良く喋り続けていてすごかった。右隣は何杯も白ご飯をお代わりしていて、すごい食べるなあと思って見てみると、よく食べるのは男性ではなく痩せた女性の方なのだった。

私もご飯をお代わりしたのでかなりお腹いっぱいになって帰って、しばしゆっくりしていると、気圧が急速に下がっているせいなのか頭が妙に痛い。そんなに頭痛持ちというわけでもないので、ロキソニンは常備しておらず、どうしようもないなあと思いながら、しかし夕方の打ち合わせに備えて仕事を進める。打ち合わせは首尾良く終える。

退勤して、新宿へ。もともとビックロだった建物に行く。ユニクロは閉店して近くに移ったが、ビックカメラとGUは残っている。GUで適当な下着を買う。洗濯をほとんどコインランドリーでまとめて行うのだが、その頻度は下着や靴下やタオルの枚数が律速となる。近頃寒空のなかコインランドリーに行くのが億劫なので頻度を減らすために購入。

そのあと、サブナードの古本市が今日までで、在庫処分として三百円均一で売っているというので向かう。趣味の本が多めで、映画のパンフレットや雑誌の付録なんかもあった。かなり真剣に見たのだが、結局、前世紀に東京国立近代美術館で行われた萬鐵五郎展の図録だけ買った。

帰り道、新宿眼科画廊を通りかかって、そういえばここでやってる展示も気になっていたんだった、と思い出したが閉廊まで十五分くらいしかなかったので諦める。近いので会期が終わるまでに見に行く機会もまたあろう。

さらにマスクがなくなりそうなことを眼科画廊の近くにあるドラッグストアを見かけて思い出し、店内に入るとボディソープもなくなりそうなことを思い出した。思い出せて良かったと思う。ついでに神戸ショコラも買ってしまう。神戸ショコラ(ゴーフルが入っているもの)はおいしい。

2022年1月22日 日曜日

ここ数日服用しているメラトニンのおかげなのか朝6時ごろにすっきりと目覚める。もう少し遅く起きられたらよいと思う。朝ご飯をどこかに食べに行こうかと思ったが、ブログを書いていたら面倒になったのでコンビニへ行き、おでんとおにぎりを買う。おでんはしみじみとうまい。おにぎりをおでんの汁に投入して箸で崩して茶漬けのようにして食う。行儀など知ったことではない。

昼過ぎ、地下鉄に乗る。朝からFPMのBeautiful Daysという曲が頭から離れなかったのでそれを聞きながら乗っていたのだが、その曲について調べているうちに、女性ボーカルがEGO-WRAPPIN’の中納良恵であることを知って、そりゃ好きなわけだわと思う。そう思って聞くとそうとしか聞こえない。

浅草で友人と待ち合わせ。浅草なんて年に一、二回くらいしか用のない土地だったのになぜか今年に入ってからもう三回目である。天気がよく、人が大変多い。友人と片手間で運営しているウェブメディアの記事のため、浅草寺とウインズに行く。ウインズは相変わらず治安が悪い。競馬に関心を持ったとして初手でウインズに行くのはおすすめできない。是非とも競馬場に行くべきだろう。ウインズの近くの喫茶店(当然、煙草が吸える)で、競馬中継を見ながら話をする。私はなんとなくその気になれず賭けなかった。

浅草はアーケードの商店街がいくつもあり、人と人の距離が近く、大阪のようだなといつも思う。私は東京出身だが、東京より大阪の方が都市として成熟していると認識している。都市にはいろいろの人が集まり、当然トラブルが起きやすいが、そこをできるだけ他人と関わらない方向で対処しているのが東京で、積極的に敵意のないことをアピールして対処しているのが大阪だと思う。後者の方がより洗練された態度だと思うがどうか。

東京が都市として発展したのはここ四百年程度のことだし、新宿や渋谷といった副都心はさらに歴史がなく、せいぜい明治に入ってからのことだろう。浅草は東京の街としては古い街なので、大阪的な空気がいくらかあるのかもしれない。夕方、解散して一度帰宅する。行きは浅草駅まで地下鉄に乗ったのだが、帰りは蔵前まで歩いて大江戸線に乗る。

朝、武蔵野美術大学の市ヶ谷キャンパスの卒展のツイートが回ってきて、調べてみると今日が最終日で最後の入場枠だけ空いていたので、予約しておいた。夜七時の入場枠で、展示自体は八時までなので、そんなに作品は見られない。キャンパスはビルをリノベーションしたもので、いつも外から眺めていたのだが、その中を見てみたいというのと、あと高校の後輩がひとり市ヶ谷キャンパスに通っていて、今年卒業するというので予約した。

いつかの日記にも書いたが、家から市ヶ谷までは歩くにはすこし遠いがバスで一本であり、自転車でも十分くらいである。帰宅するとちょっと疲れていたがせっかくなので行くことにした。

武蔵美も、昨日行った多摩美と同様、メインのキャンパスは市ヶ谷ではなく、鷹の台という国分寺近辺の街にある。そちらには何度か行ったことがある。市ヶ谷には、造形構想学部クリエイティブイノベーション学科という長ったらしい名前の、新設された学科(とそれに対応する大学院)が置かれている。

ビルのなかに入って受付をする。オフィスビルのように入場ゲートがあって、大学でこれはちょっとなあと思う。大学は誰でもいつでも好きに入れるべきだと信じている。キャンパスといってもビルが一棟あるだけなので仕方ないのかもしれないが。作品はいくつか面白いものもあったが、昨日にもまして早足でざっと見ただけなのでここには書かない。

この学科は卒業制作ではなく論文を提出して出ることも可能なようで、後輩は論文を出しているという。論文の場合は、ポスターセッションのような感じで展示されていて、論文の現物も置いてあるのだが、ポスターだけ読んだ。なかなか面白かった。方言が失われていくなかで何に地域性が残っているのか、というところで校歌に着目して、校歌に歌われているものを調べる——といった内容だった。以前、「この街に育つ子供がみな歌うどこにも見えやしない武蔵野」という短歌をつくったのを思い出した。ほかの作品も含めてあらかた見終わったところでたまたまその後輩に遭遇したので簡単に挨拶して帰った。

2023年1月21日 土曜日

昼前に起きて、諸々の雑用を済ませると午後二時を過ぎていたが、多摩美術大学の統合デザイン学科の卒展に向かう。午後五時までだったが、学科の規模だし、一時間半くらいあればとりあえず回れるのではないかと思って。随分以前から行こうと思って行き逃していたのだが、今年はきちんとGoogleカレンダーに登録しておいた。

天気は良いが、風が強くて寒い日。この風がなければ随分違うと思うのだが。『細雪』で、大阪から東京に転居した姉が、芦屋に住む妹に対しての手紙に、東京というのは風が強くて冬の寒さが厳しいと聞いてはいたが、これほどとは思わなかった、そちらはきっとしのぎよいことでしょう、といったことを書いていたのを思い出す。私は関西の冬といえば京都の寒さが厳しいことばかりが印象に残っているのだが、阪神間はたしかにしのぎよさそうな感じがする。

副都心線に乗って、そのまま東横線に直通。渋谷と代官山のあいだで電車は地上に出る。休日の昼下がり、光がどこかのどかな車内に射し込んでくる瞬間は美しい。自由が丘で大井町線に乗り換えて上野毛へ。先月、上野毛の一駅手前の等々力で降りて、尾山台、九品仏1、そして自由が丘へと戻る形で散歩したのだが、上野毛はまたいずれ行く機会もあろうと思って歩かなかった。

武蔵美と藝大には知り合いがおり、それぞれのキャンパスには何かの展示などで足を運んだことが何度かあるのだが、多摩美は行ったことがなかった。八王子のほうにたしかメインのキャンパスがあるのだが、そちらも同様。上野毛と言うなら野毛2の近くにあるべきではないかと思いながら降りる。実際には野毛までは数十キロはあるだろう。

駅前は環八が貫いていて、多摩美のキャンパスもそれに沿ってある。先述の通り、メインのキャンパスは八王子で、あの伊東豊雄の手になる有名な図書館もそちらにあるのだが、だから上野毛のキャンパスにはたぶんいくつかの学科しか置かれていないようで、校舎も結構古い建物が多く、どことなく「大きな高校」というような印象。私は文化祭の資材が廊下に積んであるような雑然とした公立高校に通っていたので懐かしい雰囲気。

私の通っていた高校でも校長の等身大パネルが制作されて廊下に置かれたりしていたなあ、と懐かしくなる。

私は美術についてはほとんど知識を持っていないと予防線を張らせてもらうが、そのうえで、展示全体に対して、素直だし、社会性がある、という印象を受けた。なんらかの疑問、なんらかの感情、なんらかの考えがあるとして、それに対してわりあい素直なアプローチで、社会をよくしようというような態度で応答しているような作品が多いように思った。

しかしながら、教員の顔ぶれなんかを見ると、それこそがその学科の目指すところとも考えられ、だとすれば素晴らしい達成なのだと思う。ユーモラスな作品も多かったが、それについてもなんとなくデイリーポータルZみたいな感じがした(私はデイリーポータルZを長年愛読していますが)。

良い例とは言いがたいけれども、たとえば歩きスマホについて気にかかる点があったとして、歩きスマホをすると認知できなくなる段差を設けて、注意を促すみたいな感じ。そういうのは面白いと思うし、それはそれで好きなんだけれども、ただ、私が芸術に対して期待しているのは、歩きスマホという課題を解決するのではなく、走りスマホのような全然別の方向性を提示することで、それは結局のところデザインとアートの違いなのかもしれないが、このテーマは何か口を出すと口角に泡を飛ばしていかに私の認識が浅薄なものか指摘してくる人が多いので詳しくは踏み込めない。浅薄なのもたしかである。

いくつか、面白いなと思った作品をお目にかけたい。どこかで紹介しようと思って写真を撮ったわけではなかったので、キャプションを撮り忘れてしまったものもある。自分が作り手だと仮定して、クレジットなしで自分の作品を紹介されるのは非常に腹が立つが、一方でクレジットなしでも紹介されないよりはされたほうが嬉しいと思ったので、載せることにした。もしわかったり、コメント欄やTwitterのDMで教えてくれたりする人がいれば追記します。

水滴についたものをそのままに保存しておく作品。ほかにもいくつかあったが、鍋のふたが一番好きだった。

ものごとの「ちょうどよさ」を探る作品。餃子のほかにはおにぎりがどれくらい三角形に近いか、あるいは丸みを帯びているか、といったものもあった。

鵜飼東吉さんの『パワー』という作品。この作品に対してパワーっていう題がよかった。

角田果穂さんの『Ordinary days』という作品。2年と少しの日々がそれぞれ1日ごとにタイルになっている。手数が多ければよいというものでもないんだろうけど、ここまであるとやっぱり素直に感銘を受ける。イラストのトーンもかわいらしい。

長沼梨子さんの『if』という作品。信号の説明にある「高付加価値化のニーズ→六色へ」というのが人を食ったような感じでよい。

この但し書きの通りで、作品を見ていないのだけれど、ハバ ナイス デイ!

以下は動画。限定公開にして検索なんかではヒットしないような設定にしています。なにか問題があればお知らせください。

シンプルに面白い。

書かれた手紙に、手紙を書くときの様子が投影されるという作品。芳名帳がおもしろいです。行ける人は行ってみてください。展示が終わったらどうおもしろかったのか書き加えますが、すごいですね! って作者の方にお伝えしたのにキャプションはメモし忘れた。

平島慶東さんの『メタモルフォーゼ』という作品。金属のように見える物体がやわらかい、というのが、本当にプリミティブな面白さがあった。

いままで武蔵美と藝大の卒展には行ったことがあるのだが、それらは多くの学科が同時に、キャンパス全体や近隣の美術館なども使って行うような広大な展示なので、比べものにならないかもしれないが、それにしても卒展の動線はすばらしいもので、初めて行った大学の敷地で迷う余地がなかった。統合デザインと題するだけのことはあるなと思う。

ただ一時間半ではやっぱり少し足りなくて、やや駆け足で回るような形になってしまった。キャンパスの一角では演劇舞踊デザイン学科の展示もあって、それは行ってみるまで知らなかったのだが、そちらにはあいにく足を運ぶ余裕がなかった。卒展は今日(22日)までなのであれだけれども、たぶん二時間半くらいはあるとちょうどよいと思う。感染症の影響で、他大学の卒展が事前予約制や入場制限を取っているなか、予約不要で気軽に足を運べるのは楽だった。キャンパスが禁煙だったのは残念だった。

いずれにしても、美大の卒展に行くと、なにかを考えてものを作っている(多くは同世代の)人たちがここにたくさんいる、という事実に励まされる感じがする。彼らはべつに、そんなもののためにやっているわけではないだろうが、美術と無縁の私には、そのような受け取り方しかできない。


そのあと、新宿で待ち合わせて、中学時代の塾以来の、腐れ縁としか言いようがない関係の男二人と合流。歌舞伎町で凪3を食べて私の家で酒も飲まずに喋る。彼らは俗物なので、くだらない話をいくらでもできるのが助かる。私はインテリみたいな顔をしているが、母親は元キャバ嬢で祖母も銀座のキャバレーで働いていたような家の生まれで、ベースはそこにあるのでくだらない話は大好物だが、良識のある人々は顔をしかめるのだ。

我々はみな東京の郊外に実家があって、国立4という街の塾に通っていた。ひとりはその後、高校も大学も一緒だった。もうひとりはどちらも別だが、学生時代、家が近いゆえ深夜に突然呼び出しても会えるというので関係が続いていた。

ただ、いまや全員勤め人で、一人は千葉にある社員寮に、私は新宿に一人暮らしを始め、もう一人は相変わらず実家にいるという地理的な制限が生まれたので、しばらくLINEのやり取りしかしていなかったのだが、何度かの「今夜空いてる?」「今日は無理」の末に(仕事が忙しい人は金曜と土曜の夜にすべての予定を入れてしまうので、当日土壇場でというのはもう無理らしい)、もう我々は予定をあらかじめ立てないと会えないという認識を養い、今日に至った。

話はわりあい盛り上がって、実家に暮らしている人に一人暮らしの決心を固めさせたりして、彼らの家は近くはないので泊まるかどうか迷うなとか言われたが、ちょっと疲れたから無理と言って終電で帰した。悪いことをした。


  1. くほんぶつと読む。東京近辺に住んでいなければ知らないと思うが、私は関西に住んでいないが喜連瓜破や放出を知っているので、難読駅名という点では知られているかもしれない。
  2. 桜木町駅の裏手あたりを指す地名。飲み屋街として知られる。
  3. 煮干しが特徴のラーメン屋。ゴールデン街に本店があるが狭くて混んでいそうなので歌舞伎町の店舗を選択。たしか他にもいくつかあるはず。
  4. 東京郊外の地名。くにたちと読む。一橋大学がある。

2023年1月20日 金曜日

朝から何も食べずにいたら、昼の三時すぎになって突然猛烈にお腹が空いて、動けなくなったがなんとか気力を出して外に出る準備をして、てんやに向かう。天丼ではなくうどんの単品と天ぷらをいくつか頼む。道中懐かしい匂いがして、何かと思ったら道端で香水をつけた男が煙草を吸っているのだった。両親ともに香水をつけ、煙草を吸う人たちだったので、それらが入り交じった匂いはどうも懐かしく感じられるらしい。幼き日の思い出。私自身は、煙草は吸うが、香水をつける習慣を興味はあるものの持っていない。

帰り道、腰のひん曲がったお婆さんが、歩行器を使ってゆっくりと歩いていた。家までどれくらいあるのだろうなと思いながら追い抜くと、良い運動になるね、と存外はっきりした声で彼女は言った。

さしてやることもない仕事を終えて、飯田橋に向かう。飯田橋の友人宅で、高校の後輩たちと宴の予定があった。以前、高校の同期である友人が映画を撮る手伝いをしたことがあるのだが、同様にそれを手伝ってくれたり出演してくれたりした後輩たちと、久しぶりに会う。我々が高校三年のときの一年生たちがもう大学を出て就職するらしい。この家でつるんでいる我々の同期は、浪人したり休学したり修士に進んだりして、まだ就職していない人の方が多い。というか働いているのは私くらいかもしれない。

その後輩たちと会うのは半年ぶりか、それ以上くらいだったと思うが、特に何も変わっていなかった。いい会だったが、残念ながら途中で抜けて別件にはしごする。そちらも高校の同期。どんだけ高校のつながりが維持されているんだ、ほかに友達はいないのか、と思うが、大していない。私が高校に通っていたときに面識を得る可能性があった人たち(つまり二個上から二個下まで)だけで千五百人くらいいるのでなかなか掘り甲斐はある。いずれにせよ、そういうつながりを維持できているのはありがたい話だなと思わされる夜だった。

2023年1月17日(火)

日曜に17時間も惰眠を貪ってしまったゆえに、いちおう定時のある会社員とは思えないような生活リズムなので、日記の日付とか意味がなくて、いまは18日の午前6時だけれども気分的には17日なので17日の日記として書く。

眠れないなと思いながら前回の日記を書いたあと、気づいたら三時間くらい意識が落ちるように眠っており、六時前くらいに目覚めた。本当はそこでもう一眠りしたかったがうまくいかなかったのでバスで新橋まで出て喫茶店に行く。地図を見ていたら新橋までバスで行けることに気づいたので。

私は銀座線と丸ノ内線と御堂筋線以外の地下鉄はだいたい好きじゃない。一回地下深くまで降りて電車に乗ってまた地上に出るなんて馬鹿らしい。その点バスはいい。道端でぼんやり突っ立っているとバスが来るのでそれに乗るだけだ。しかも地下鉄と違って景色まで楽しめるのだからお得だ。都区内ならどこまで乗っても同じ料金という明快さも好ましい。税制に必要なものだ。

内幸町のバス停で降りて写真を撮りながら新橋の珈琲大使館へ行く。曇天で寒いが、写真にとっては曇天というのは悪いことではない。光が均一で太陽の位置を気にしなくて済む。

ここはモーニングはないが、トーストがもとからそんなに高くない。アイスカフェオレとシナモントーストを頼む。シナモントーストにはホイップクリームがついていて、それは軽い口当たりのものでおいしかったけれども、もともとクリームが得意じゃないので終盤は結局頭がしびれるような感覚がある。

家に帰って定時より三十分遅れで始業。一応事前に連絡しておいたが、フルフレックスでコアタイムもないので本来は遅刻でもなんでもないはずなのだが、なんとなく気が引ける。世の中にはこの種の暗黙の強制が多すぎる。しかし全体的には生活リズムがめちゃくちゃでもなんとか勤まるレベルの緩い職場であり、大変助かっている。

今週、仕事はとても暇。私に課されている業務は気合いを入れれば一営業日で終わってしまいそうなので気合いを入れないでいる。そんなに暇なら他の人の仕事を手伝えばいいと思うし、私としてもそれくらいの社会性や倫理観はかろうじて持ち合わせているが、どうも先週の会議で聞いたところによると部署全体として暇な時期らしく、それならと思って特段何も言わずにいる。どの道繁閑に多少の波がある職業なのだ。

三十分遅れで始めたので三十分遅れで上がっておく。しばらく読書にふけり『ルワンダ中央銀行総裁日記』を読み終わる。ちょっと前に中公新書らしからぬ、なろう系みたいなコピーが書かれた帯がついて書店に平積みされていたが、実際はロングセラーで、補訂を付した増補版すら2009年の刊行である。なぜ改めてプッシュされたのかは知らない。よく売れたためかブックオフで100円の棚にあったので買って読んだ。途中難しい財政の話などもあるが(適宜斜め読みした)、全体に達意でユーモアのある文章で、面白かった。私は何もかも気力がないのに、数十年前に異国で一国の中央銀行の長として経済を建て直すべく奮闘した人の文章を読んでいる。彼はフランス語と英語を駆使して、当地の政治家やヨーロッパの銀行員、国際機関の職員と渡り合っている。随分能力のある人らしい。そのあまりに私に関係のない加減が心地よい。

自販機でコーラを買えば170円だか180円だかもする世の中なのに、面白い本が110円で買えるというのはどうも不思議な気持ちになるが、もとから価格と価値というのは必ずしも相関関係にない。どうにも気力がなくUber Eatsでマクドナルドを頼んでしまう。かなり疲れているサイン。

それを食べ終わるとまた意識を失ったように眠っていて起きたら午前1時だった。生活がわずらわしくてそんなものにかかずらいたくなくまた本を読む。ウエルベック『闘争領域の拡大』。一度読んだ本で文体も簡明なので頭を使わずに読める。暇つぶしとしての読書。

とはいえ途中でお腹が空いたような気もしたし、この前買った牛肉の消費期限がさっき切れたところなので捨てるのもやぶさかでなく焼いて食べる。この前と違って焦がさなかったけれども、すぐに冷めてあまり美味しくない。肉の脂が苦手だな、と改めて思う。調理法が悪いのかもしれない。スーパーでカット野菜を買っておいたのでそれにドレッシングをかけ、インスタントの味噌汁も飲む。それらは何の手間もかかっていないのにおいしい。

今日は燃えるゴミの日だけれども捨てるものをまとめて出す気力がない。風呂に入るのも面倒だ。洗い物も面倒くさい。だがゴミを捨てたり洗い物をしたりすることでしか人生は好転しない。これは私が二十四年の人生で到達したひとつの見識だが、しかし面倒くさい。助けてくれ、と思う。いまは何もかも面倒で仕方がないし、そういうときだから一日に二冊本を読んでしまう。それこそウエルベックがこう書いているではないか。

人は人生を愛しているときには読書はしない。それに、映画館にだってほとんど行かない。何と言われようとも、芸術の世界への入り口は多かれ少なかれ、人生に少しばかりうんざりしている人たちのために用意されているのである。

——ミシェル・ウエルベック『H・P・ラヴクラフト:世界と人生に抗って』(国書刊行会)

仕事も耐えがたいものではないが楽しいとまでは言えない。耐えがたいものでないならばそれはすでに僥倖だとは思うものの、人生って本当にこれで合っているのかという感は拭えない。寒いしうまく眠れていないし、かなりどうしようもない。それもこれも半分くらいは仕事が暇なのが悪い気もしていて、適度ならば忙しい方が余計なことを考えなくて済み、健康に良い。こんな世迷い言を書き連ねているような暇はないほうがいいと思う。だいたいそうした空虚さは五年も大学に通ってなにひとつ学ばなかったあの時間だけで十分だ。何回こんな文章を書けばいいんだ。とはいえ私は忙しいなら忙しいで体調を崩すような人間なので、何かがかみ合っていない。

どうでもよいが、上のAmazon.co.jpの販売ページで「この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています」を見ると『ピダハン』と『ブランド人になれ!』が並んでいる。ここが人文書とビジネス書の交差点。たしかにどちらの観点からでもかなり面白く読めるものと思う。