2023年1月15-16日(日・月)

1月15日 日曜日

断続的に17時間くらい寝た。朝一度目覚めると高橋幸宏の訃報。マジかー、と思いながら再び眠りにつく。結局起きたのは夜の7時だった。

すごくファンというほどでもなかったのに、高橋幸宏が亡くなったのが結構心に来ていた。あのとんでもなくかっこいいおっさんがもうこの世にいない。YMOもMETAFIVEももうフルメンバーでの演奏は確実にない。私は音楽に詳しくないので彼の音楽性やドラマーとしての技量とか、与えた影響とかはよくわからない。ただ、サディスティック・ミカ・バンド、サディスティックス、YMO、HASYMO、METAFIVEに好きな曲がいくらかある。そこで彼がドラムを叩いたり、ときにはボーカルを務めたりしている、それを聞いて楽しむだけだ。

夜の11時ごろ、散歩に出かける。カメラを、ネックストラップで吊るして裸で持ち運んでいるんだけど、雨なので濡れてしまった。傘を差すのが下手なんだと思う。それに気づいて動転して手袋で水滴を拭ったりとかして、一応起動するのを確認。

本当は水に濡れた電気製品はよく拭き取り、ジップロックとともに乾燥剤などを封入し、できるだけ長い間通電させないでおくのがベストである。だがそういうことができない。とりあえずの対処でつくかどうか確かめてしまう。

私は非常に不注意で、かつ乱雑で、そのうえカメラを裸で持ち歩いているので、確実にいつか壊す。このカメラが失われたら大変だなという気持ちが高まったのを受けて、先週楽天の携行品保険に加入しておいたので、水濡れでも気持ちが落ち切らずに済んだ。

本当はもっと長く散歩をする予定だったがその元気もないので、とりあえず近所の24時間営業のスーパーに行く。肉や焼肉のタレやサラダなどを買う。


1月16日 月曜日

帰宅して、カメラを一通りクロスで拭いていたら、マイクロファイバーとはいえキッチン布巾のような目の粗いものなので、その繊維でも入り込んだのか、あるいはやはり水滴のせいか、今度は電源を入れるとレンズカバーが半開きになるという症状が出る。

手でちょっと押してやるとカバーが全開になるので使えないことはないが、気軽にすぐ撮れることが命のコンデジにそんな手間が増えるのは面倒で、これまた気落ちする。

価格.comの記述ブログを見て、カメラを下向きにしながらブロワーを吹き続けつつ電源のオンオフを繰り返すという乱暴な手法で、とりあえず治療に成功。コンデジにブロワーは禁物(レンズの作りがすかすかで、埃がさらに奥へ入り込んでしまうので)という話もあるが、下向きにしているのと、少し埃がレンズに入り込むのとシャッターが開かないのとでは後者の方がとりあえず困るので、諦めてやる。治ってよかった。

これでしばらく様子を見て、どうも動作がいまいちだったら保険屋に連絡して修理に出そう。

その後、買ってきた肉を焼く。フライパンで焼肉を楽しむにはいろいろな手順を踏めと世間様ではよく言われているが、肉なんか焼けばうまいだろと思っているのでその辺は適当。しかし、肉を焼きながら味噌汁やサラダの準備やご飯の解凍なんかをしていたら肉を焦がしすぎてしまう。おおかた焼き上がったところで火を止めればよかったんだけど、そうすると他の料理を用意している間に冷めるから嫌だった。あらかた他の料理の準備を終えてから肉を焼くか、諦めてレンジで温め直すなどの割り切りが必要だった。

今までずっと包丁も持ったことのないような人生だったのだが、秋口くらいからたまに自炊をしてきて、初めて明確に失敗したと思える食べ物ができた。肉はまだ余っているので消費期限前にリベンジしようと思う。

そのあと、ネットサーフィンをしたりKindle Unlimitedに入っていた『写真を紡ぐキーワード123』を読んだりして過ごす。写真づいている。本はわかりやすく写真史を勉強するにはいいのかもしれないけど、引用されている図版が小さすぎてどんな写真なのかよくわからない。前半は写真史にまつわるキーワード、後半は著者が選定したキーワードに応じて著者の作例と、前半で取り上げた写真家をすこし紹介するというような感じで、抽象名詞が並ぶなか「新宿」という項があった。

新宿といえば森山大道である、というような解説が続くが、このような本でキーワードとして登場するくらいの街(国分寺とかは、いい街だが、たぶん登場しないだろう)にせっかく住んでいるのだから、新宿の写真を撮っておきたい。森山大道がいるからいいだろと思うところもないではないが、まあ別に写真で食べていこうとしているわけでも、写真作品を作ろうとしているわけでもないので、とにかく自分が満足できるように写真を撮り続けていくことに尽きると思う。

昨日17時間も寝てしまったので、当然眠れずに朝を迎えたが、始業前と退勤後にちょっとだけ眠って乗り切る。

夜の8時くらいに新宿に向かう。

本当は人物のスナップ、キャンディッド・フォトとでもいうのか、それをもっと撮ってみたいという気持ちがあるが私の持っているカメラの焦点距離ではかなりカメラを近づけないといけない。その勇気はまだなく、これは望遠端で撮っているがピントが甘い

西口のヨドバシカメラで、注文しておいたペリカンのマイクロケースを受け取る。カメラは機動性の問題から首にぶら下げておきたいが、雨の日はケースが要るし、そうでなくても移動中とか、あるいは食事の際に首に提げたカメラを鞄に移すとき、剥き身で放り込んでいたがやっぱり抵抗があった。

高級とはいえコンデジなので、過剰に気を遣わずに、多少傷がついても別にいいので取り回しの良さを優先するのが大事だと思っているが、まあ写真を撮らないときくらいの防御はあってもいいだろうということで、調べるうちにペリカンのマイクロケース(1010)がRX100M5にフィットしそうだとわかった。しかも防水防塵機能までついている。

カラーはいろいろあるが、私が選んだのはクリアとブラックのもの。Amazonよりヨドバシの方が1000円ほど安いと思う。このケースについては、改めてカメラ関連のアクセサリについて別の記事でいつかまとめるときに紹介したい。


新宿南口の石の家へ。町中華かと思ったら、昼間はそういう雰囲気っぽいが夜は居酒屋としての使われ方が主らしく、店内は酒飲みでいっぱい。一人客は私だけだったが、もう入ってしまったし案内もしてくれたので入る。

味噌坦々麺とコーラを頼む。飲み食いしながら煙草を吸えるのが何よりうれしい。坦々麺は辛いし多いけどチャーシューがとにかくうまい。これは意外だった。夜はお通しが300円らしいが、一人で酒を飲まない場合はどうもかからないようだった。


家帰って、ペリカンケースを確かめる。やはりいい具合にジャストフィットする。ネックストラップは紐を外に出してそのまま無理矢理閉める形。気密性や防水性が少しは損なわれるのかもしれないが、中のゴムパッキンはそこまで紐によって隙間を生じているわけではなさそうだし、仮に少しくらい劣っても川遊びに連れていくような予定はないのでこれでよしとする。これで鞄に放り込める。ケースは質実剛健でとてもよい風合い。これは小さなケースだが、もっと大きなキャリングケースは米軍にも採用されているらしい。

寒空の中歩いていたら眠気が完全に覚めて、もともと夜遅くなると元気になるたちなのだが、それで睡眠時間はあまり足りていないはずなのに眠くないので諦めてこれを書く。

2023年1月14日(土) Obsidian、メラトニン、市ヶ谷

昨夜から恋人が泊まりに来ていた(ので昨日日記を書けなかった)。夜、豚肉と白菜のミルフィーユ鍋なるものを食べて、映画の『パプリカ』を見た。以前、筒井康隆の原作を読んだが映画の方は初めて見た。正直原作の筋ももう曖昧なのだが、こんな話だったっけと思う。しかし原作も映画も好き。恋人は昼過ぎに帰って行った。ついでにどこか行こうかと思ったけれど、事前の予報に反して大して暖かくならず、雨だったので家に引きこもる。


午後、Obsidianを導入する。PKM(Personal Knowledge Management)に以前から関心があり、ScrapboxとかEvernoteとかHackMDとかそのための道具をいろいろと導入してきたのだが、いずれも一長一短という感じで、中途半端な利用に留まっていた。Obsidianも気になっていて、機能的にはこれはかなり自分の要求を満たしているなと思ったのだけど、ちょっと導入のハードルが高いのでしばらくためらっていた。

いざ入れてみると、これはかなり素晴らしい感じがする。ただ、Obsidianのメモは、単なるローカルに保存されたMarkdownファイルで、それが長所(=Obsidianが仮に開発停止になっても、データは活用できる)でもあるのだけど、データがクラウドにあったりするわけではないので複数端末での利用に課題が生じる。

私用のコンピュータはMacで、携帯はiPhoneなので、それらだけ同期するならiCloudにデータを保存しておけばよい話だが、会社のマシンがWindowsで、もちろんそこでもメモを取りたい。WindowsでもiCloudは使えるが、どうも挙動に問題があるらしい。Obsidianが公式でクラウドの同期サービスを用意しているが、有料なので、とりあえずこの記事を参考にしてSelf-Hosted LiveSyncというプラグインで対処することにした。

その過程でもIBM Cloudantに必要なアカウントを作成できなかったり、その代替となるFly.ioの設定でつまずいたりと、いろいろとトラブルがあったのだが、その辺のことは後日Obsidianをしばらく使ってから文章にまとめられたらよいなと思う。Obsidianは(たとえばNotionなどに比べて)いささかとっつきにくい。これでも私が最初に見たときより随分使いやすくなったと思うけれども、わりとなんでも自由にできる代わりに、コンピュータに詳しくない人にはちょっと難しい部分があるな。しかし、iPhoneアプリがほとんどデスクトップと変わらない機能/使い勝手なのはかなり感動した。

Obsidianのメモをどう整理していくかという点も、Zettelkastenとかいろいろなやり方があるようだけど、とりあえず最初はDaily Notesとフォルダ分けで運用していく予定。

普段、本を読んだり、ネットの記事を見たり、あるいは現実にもいろいろなことを見聞きするわけだけど、それらは頭のどこかには残っているのかもしれないが、なんとなく入っては出ていくような印象があり、それらを留めて活かす方法としてのPKMに関心があった。三日坊主に終わる可能性も大だが、一度セットアップしてしまえば一山越えた感じで、とりあえずDaily Notesにメモしていくだけでも違うだろうし、携帯でもかなり良い感じに使えそうなので、しばらくObsidianでやっていきたい。


そのあと、早速Obsidianにメモしながら、非24時間睡眠覚醒症候群(Non-24)について調べる。睡眠外来にかかるのが最善だとは思うが、診断を受けるにも検査やら毎日の睡眠記録やらが必要っぽく、それをやるのはお金も手間もかかるゆえ最後の手段にしたいので、論文を読んで治療法を確認する。

Non-24は一般に全盲者に多い病と言われ、Non-24なのかどうかも実際のところわからないのだが(たとえば睡眠相後退症候群かもしれない)、いずれにせよ概日リズムを整えるのに低用量のメラトニンは効果があるよう。私が読んだ論文では0.5mgのメラトニンを、午後の遅くから夕方に投与するのがよい(あくまで全盲者向けの記述だが)ということだったが、税関で止められそうな量のもの——日本では、メラトニンの個人輸入は2カ月分までに制限されているらしい——しか見つけられなかったので、0.75mgのものをiHerbで購入する。これでどうなるか一度試してみたい。


今日は気圧のせいかなんとなくぼんやりとだるい感じで、無闇に眠いし、文章がうまくまとまらない。経験的には、気圧のせいというのはある気がするし、それを訴える人も多いけれど、誰かも言っていたがじゃあ標高の高い軽井沢に行ったら不調になるのかという話で、実際どうなんだろう。

友人が、はてなブログのトップページで先日の吉祥寺の記事が紹介されていることを教えてくれた。道理でやけにスターがついたわけだ。スパムというか自分のブログの宣伝目的っぽいスターも結構あるけれど、いずれにせよどこで見つけたのだろうと思っていた。記念にスクリーンショットを撮った。


ずっと家にいるのもなんだったので市ヶ谷方面に散歩へ行くことにする。バスに乗り、市ヶ谷で降りる。珍しくバスで酔う。

文教堂を冷やかした後そのまま麹町方面に歩く。

途中、市ヶ谷女子学生ハイツなるものがあり、二階堂奥歯よろしく、地方から東京の大学に出てきた良家のお嬢さんが親の言いつけで住むような場所なのであろうと想像する。この辺は千代田区n番町(nは漢数字、1≦n≦6)という地名で、総称して番町と呼ばれる。江戸時代に将軍を警備していた旗本が一番組から六番組と呼ばれていたことに由来し、いまでは由緒ある高級住宅街である。No.4という店を見つけて住所を確かめると、やはり四番町なのだった。

日テレ番町スタジオがある方向に曲がってみる。日本テレビは、20年ほど前までいまの汐留ではなくこの辺りに本社を構えていたという。フジテレビも昔は河田町にあったが、在京の民放テレビ局はいまではすべて港区に本社がある。スタジオの隣は女子学院。土曜の夜というのに門に併設された警備員室は灯りがついていた。宿直でもいるのかもしれない。私の出た都立高校は休日の夜でも門がちょっと開いていたりしたが、名門私立女子校と郊外の都立高校ではセキュリティのレベルが異なるのも無理はない。

適当に元の通りに戻るべく引き返す。東京グリーンパレスにはなぜか機動隊の車が止まっており、向かいの道路には警察官が見張りとして立っていた。なにかあるのだろうか、と思って地図を見るとイスラエル大使館が近くにあり、そのためだろうか。

この辺りは都心とは思えない空地の多さだが、日テレの土地で、建物を建て直すまでの暫定利用としてコインパーキングになっているらしい(Wikipedia情報)。

麹町駅付近で一番町の方向に曲がる。この頃にはすっかりバスで生じた気持ち悪さはなくなり、眠気まで醒めていた。窓も開けずに家に引きこもっていたから空気が悪かったのかもしれない。私は部屋を換気する習慣を持っていない。

番町ではセブン-イレブンも洒脱になる。

番町にも100円自販機はある。

番町にも児童館はあり、公衆電話も置かれている。

一番町の交差点は靖国通りの方向に曲がる。

大妻女子大学を抜けるとすぐに靖國神社が見えてくる。これまで参拝したことはなく、これからもおそらく自発的に行くことはないだろう。靖国通りを市ヶ谷駅の方面に進んで戻る。

途中、なか卯でうどんを食べる。お腹は空いたけれども昼とも夕方とも言えない時間にご飯を食べ、そこまで時間が経っていないし元々小食なので、「小」を頼んだら想像より小さく、並でよかったなと後悔する。どうもワンオペなのか、二十分くらい待たされたが一分で食べ終わった。

市ヶ谷駅につき、外濠のあたりの雰囲気を楽しんで帰る。私が住んでいるあたりから一番近い水辺が外濠で、実家に住んでいた頃多摩川にすぐ行けたことは贅沢だったのだなと今更思う。帰りはドコモの自転車を借りて家に戻る。

散策の経路は以下。

2023年1月12日(木)

昨日のツケを取り返してなんとか仕事を終わらせた。今週の山場はここで、来週いっぱいくらいまでやらなければいけない仕事は少ない。木曜の午後くらいからもう金曜みたいな気持ちでいるのだが、今週はなおさらそんな感じだ。

仕事を終えたあと、浅草へ。高校の先輩二人と同期と、それから先輩のうち一人の「懇ろな人」とご飯。もんじゃ焼きに行く。店員さんがほとんどやってくれるタイプの店だったので面倒が少ない。もんじゃを食べるのはいつぶりだろう。

同期は東京で働いているが、先輩らはそれぞれ関西方面で働いている人と北欧に留学している人で、そんなに会う機会がない。久しぶりに顔を合わせたので話はそれなりに盛り上がったと思う。しかし全員同じ高校なので内輪の話も多く、しかも東京人に囲まれた、関西出身の「懇ろな人」がどれだけ楽しめたのかはわからない。しかし、そういうことはあまり気にしないようにしている。私が逆の立場だったらそれに気を遣われること自体を申し訳なく思うと思うので。

関西で働いている人は、某外資系企業で(私なんかに比べると)高給を得ており、もんじゃ焼きは全部出してもらった。ご馳走様でした。まったくありがたい話で、ついでにお年玉もくれた。私はそういう施しを受けることになんらの抵抗がなく、というのも収入の差は収入の差以上のもの(たとえば能力の差とか)をさして意味しないと思っているので、だからそこに関してプライドみたいなものはあまりない。金があるならありがたく頂こうという感じである。

私は東京が好きだが、もう二十数年も住み続けていささか飽きてきているので、ほかの街、できれば京阪神のどれかに住みたいという気持ちをしばらく懐いているが、東京には地縁があるゆえ知り合いがたくさんいるのはやはり捨てがたい魅力である。東京の高校を出ていても、今では皆結構いろいろな土地に散らばっているが、しかし東京に帰ってくるときがあり、東京にいれば会える。どの道、私の勤める業界は東京一極集中の見本で、あらゆる産業のなかでもかなりそうなので、この業界にいる限りは東京を離れるのは難しいと思うけれども。

もんじゃ焼きを食べたあと、三人が喫煙者だったので煙草が吸いたいとなってざっかけない居酒屋に適当に入る。ビニールのカバーみたいなもので店の外が覆われているような仕組みで、隙間風が入り全然寒かった。しかし煙草はうまい。一時間くらいで閉店するとのことでそこで解散。いよいよ木曜の夜という感じはしない。

私の通っていた高校は少し変な空気のところで、いまだに付き合いが深すぎるという特徴があるのだが、それも皆が結婚したり子供を持ったりし始めたら少しずつ失われていくのだろうか。それは淋しいなと思う。高校も、中学に比べればずっと同質性が高い空間だとは思うけれども、それでも全然異なる考え方の人がいて、そういう人とも何らかの機会(クラスが一緒だったとか)に親交を深めることがあり、だから大学でできた友人たちに比べるとまだ随分多様で、その人たちがいろいろなところでなにかを考えながら暮らしているさまを聞くのが大変好きだ。そういう時間が何ヶ月かに一回かはあってほしい。なんとなく元気になるので。

浅草は三ヶ日にも行ったのだけど、そのときに比べるとなんでもない平日の夜なのでかなり空いていた。私は人間を撮るのが本当に下手なのでもう少し上手くなりたいなと思う。練習させてほしい。

2023年1月11日(水)

今日は朝起きてからこの方調子が悪くて、勤務中にうたた寝をしてしまう。おおむねリモートワークなのでそのようなことも可能なのだが、罪の意識はある。調子の悪さのいくらかは寝不足が原因だったようで、少し楽になった。

仕事を終えた後、診察へ。もう五年くらい精神科に通っている。ADHDとASDの診断を受けているのだが、病院では概ね睡眠薬だけをもらっている。生活リズムがめちゃくちゃであるというのは発達障害の人間にはよくあることらしいが、私も寝付きが非常に悪くて、睡眠薬がなければ毎日一時間か二時間ずつ寝る時間と起きる時間がずれていってしまうだろう。不眠ではなく、眠りに落ちれば七時間か八時間きちんと眠れるが、単に眠りにつくまで時間がかかる。これは非常に厄介な性質で、これがなければだいぶ生きるのも楽だっただろうと思わされるが、与えられたものでやっていくしかない。睡眠薬があっても生活リズムを保てるとは言いがたいのだが、ないよりはマシという感じである。非24時間睡眠覚醒症候群なのではないかとしばらく疑っているが、睡眠に関する専門の外来に行くのが億劫で行けていない。精神科もそうだが、そういう病院の初診というのは非常に予約しづらいのである。今年は睡眠外来を受診することを目標のひとつとしよう。

睡眠とは関係なく発達障害ゆえに困っていることはないのかといえば、たくさんあるのだが、コンサータの副作用がしんどいので医師と相談して集中を要する局面(TOEICとか)に頓服のように飲むようにしている。ただ、会社に入ってからその頻度が増えてきたので、最近は常用するように切り替えるか迷っているが、コンサータを飲むとただでさえ少ない食欲がまったくなくなってしまうので、それもあまり望ましいとは思えず、飲まずにやっていけるなら本当はそうしていたい。別にやっていけないのだが、年々うまく付き合えるようになってはいく。だから周りの人が二十歳のときにできていたこともたぶん三十路くらいになったら身につくんじゃないかなとわりと楽観的でいる。いまもぎりぎりのところで正規雇用の職について一人暮らしをしている。それだけでもうかなり恵まれている。ぎりぎりできていないかもしれないけど。

診察を終えたあと図書館へ行く。昨日弁償のために買った本を渡すため。精神科に行き、図書館に弁償しと、なんだか自分のツケを払っているばかりな気がするが、仕方ない。図書館の向かいには、私が五年間通っていた(そしてやめた)大学のキャンパスがある。こちらは理工系のキャンパスで、文系の私にはあまり関係なかったのだが、それでも時折理工学部の友人と会ったり、このキャンパスの図書館に目当ての本を求めたりして、立ち寄ることがあった。いかにも理工系らしい、質実剛健な、無骨なキャンパスで、「陰鬱な灰色の箱」と形容されているのを目にしたことがあるが、私はこれはこれでよいものだと思う。しかしこんなに淋しい大学のキャンパスは未だかつて見たことがない。図書館を去ってすこし構内を散歩する。

一枚目の写真でも分かるとおり、窓で囲まれていてキャンパスを歩くだけでも中の様子が窺える教室がいくつかあるのだが、空き教室で勉強をしている学生がいた。私は学生時代にとうとう、継続的に机に向かって勉強する習慣を身につけることができなかったのだけど、人が勉強をしている姿は美しいと思う。

キャンパスを出て、帰り道にドラッグストアに行く。トイレットペーパーがないので買いに来たのだが、ついでにガムシロップがないことも思い出す。しかし店内にはコーヒーフレッシュがあるのにガムシロップはなかった。私はコーヒーフレッシュなどほとんど使わないのだが(牛乳を使うので)、世間的にはコーヒーフレッシュのほうが需要があるのだろうか。結局ガムシロップを探してさまよっている間に目についたクナイプのバスソルトの一包分を疲れているので買ってしまう。トイレットペーパーはダブル派。コーヒーはブラックで飲めない。自分を甘やかすためなら投資を惜しまないので甘やかしてばかりいる。結局まいばすけっとでガムシロップだけを買うことにしたが、今度はついでにツナ缶と煙草も買う。余計な買い物ばかりしている気がするが、まあツナ缶も煙草も必要なのでよしとしよう。

家に帰ってからこれを書いているのだが、このあと、うたた寝していた分を取り返すためいくらか働く。会社からすればまったく望ましい働き方でないのは十分承知しているし、私も望んでいるわけではないが、ひとまずそうしないことにはどうしようもない。比較的そういう働き方がやりやすい業界に来たのは僥倖だが、そうでない業界の採用選考は通る見込みもなかったと思う。

2023年1月10日(火)

しばらく文章を書くことからかなり遠ざかっていたのだけど、最近また書けるような気がしたので書く。日付を題しているが、日記として続けられるかはわからない。別に続かなくてもよい。

仕事を終えた後、新宿の紀伊國屋へ。図書館で借りた本を濡らしてしまい、弁償せねばならない運びとなった。現物を持ってきてくれ、とのことで買いに行く。医学書だったのでそれなりの値段がするが、仕方がない。せめて濡らしてしまった方の本をくれないだろうかと、さもしいことを思う。

途中、花園神社を通りかかって、元日に友人と初詣に行ったが参拝は長蛇の列だったのでおみくじだけ引いて帰ったので、改めてお詣りしておくことにする。もうさすがに空いていた。別に神を信じているわけでもないのだけれど、神社にお詣りすることにそこまでの抵抗はない。初詣のような機会でなくても、なんでもないときにでも神社に通りかかって暇だとお詣りしている。神を信じていないのに何にお詣りしているのか、という話だが、端的に言うと気分転換くらいのものである。長年その土地にあって人々がそこに何かを信じて祈りを捧げてきたということ自体に価値を感じるので、まあそれに続いているという風にも言える。だから明治神宮のような場所にはあまり意味を感じず、お詣りしたことがない。そこに行くと、角川は所沢に神社まで作ってしまったので逆に新しすぎてよいかもしれない。お詣りを終えて紀伊國屋の方面に抜けようとすると、立ち小便をしている人がいて、私は神を信じていないとは言っても神社の境内で立ち小便はできないなと思った。それもまたある種、尊敬に値する態度な気がする。

新宿の紀伊國屋では決済端末にカメラがついていて、QRコード決済の場合はそこに携帯の画面をかざす形となる。レジの店員さんが「10cmくらい離して画面を見せてください」と言ったが、その指し示す手は優に20cmは上に置かれていて少し笑ってしまいそうになった。しかし私の思う10cmでは反応せず、20cmくらい上のところで反応した。つまり彼女の手の方が正しくて言葉が不正確なのだった。あるいは、私の長さの見当が外れているのかもしれないが、いま私が思う10cmを指でつくって定規を当ててみたら9.8cmだったので私は正しかった。2,000円以上お買い上げの方にはエコバッグを差し上げているらしいので、迷わずもらった。

医学書は六階なのだが、会計を済ませたあと、ついでに五階で『ナショナル ジオグラフィック プロの撮り方 ストリートフォト』を立ち読みする。小見山峻という写真家が好きで、彼がInstagramで「プロの撮り方」シリーズは良かったと言っていたので。この『ストリートフォト』は先月発売されたものなので、彼が参考にしたのとは違うのだろうが、私の関心が主にこの領域にあるので確かめた。悪くなかったが、今のところ買うほどではないという判断。

以前から写真はそれなりに好きな方だと思うが、先月に中古のコンデジ(SONY DSC-RX100M5)を買ってからより熱が高まっている。今日で二十日くらい経つが、すでに千枚以上は撮っていて、こんなに割の良い買い物もないなという気持ちになる。コンデジ→ミラーレス一眼と来て、ここ二年半くらいはデジカメを売ってフィルムカメラを使っていたのだが、その短い期間にもどんどんフィルムは廃番になり、残ったものは大幅に値上がりし、現像代まで上がっていく一方で、正直ちょっとつらい。千枚をフィルムで撮っていたら、36枚撮りでも三十個近くになり、現像と合わせたら数万円はくだらないだろう。もちろんフィルムであればそんな撮り方はしないので、皮算用に過ぎないが。

しかし、これはなかなかいいカメラですよ。私は今まで、デジタルとフィルムで富士フイルム、キヤノン、オリンパス、ニコン、ミノルタを使ったことがあるが、ソニーは使ったことがなかった。いくらミノルタからαを買ったと言っても(写真屋や光学屋ではなく)電機屋のカメラじゃないかと思うところもあったのだが、こういう小さくて高機能みたいなものを作らせるとソニーは本当に上手だなと感じる。さすがウォークマンを世に出しただけのことはある。写真作品を制作している知人もずっとαを使っているしなあ(彼は動画も撮るからだとは思う)。ただ、私はまだこのカメラのことをよく分かっていないという感覚があるので、もう少し研究したら何か書きたいなという気持ちでいる。それにしても、よい写真はiPhoneでも撮れるが、ファインダーを覗いてシャッターを切るという体験は格別だ。

紀伊國屋を出て、カレーが食べたい気分だったので西口の11イマサで夕食をとることにする。11イマサはたまに無性に食べたくなる味をしている。新宿駅の東西通路を歩いていると、ナンパ師と思しき人が腰にカウンターを提げていて、見ると数を数えながら声をかけているのだった。おそらく、今日の声かけは23件とかまとめているのだろう。見た瞬間にうわー、終わってるな、という気持ちにならざるを得なかったし、声をかけられる方からすればたまったものでもないだろうが、哀れな恋愛至上主義(あるいは性愛至上主義)の被害者と見ることもできるし、自分もどれだけその価値観から免れているだろうか、と思い直す。それにしても東西通路では常に複数人によってナンパが行われていて、ここはどんな土地なんだと思う。

平たい皿、平たいスプーン、きゅうりの漬物、すべてが11イマサである。

店を出て、西口でいくらか写真を撮り、喫煙所で煙草を吸ってからバスに乗って帰った。

本物の吉祥寺に行く—駒込・巣鴨を歩く

成人の日である。三連休の最終日。天気も良いので、三時間ほど散歩でもしたいと地図を眺めていたら一時間ほど経った。どこでもいいから散歩しに行けばそれなりのものはあるのに、労働者として翌日の勤務を控えるなか、できるだけ短い時間で良いものを得たい、明日の仕事に差し支えない程度の距離が望ましい、などと条件をつけてしまう。地図を見ているうちに日が暮れてしまうので、Googleマップから目を離して『みんくるガイド』を手に取る。都バスの路線図である。すると、「吉祥寺」というバス停が目に入った。

都バスは23区と、青梅の方しか走っていないので、武蔵野市である吉祥寺は都バスのエリア外である。バス停は、本駒込の辺りだった。そういえば、吉祥寺には吉祥寺という寺はなく、別の場所の寺に由来する地名であるという話を聞いたことがあった。それが本駒込なのだろうか。

(一)東京都文京区本駒込にある曹洞宗の寺。山号は諏訪山。長祿年間(一四五七−六〇)太田道灌が青厳周陽を開山に江戸城の和田倉門内に創建。天正一八年(一五九〇)徳川家康が江戸城造営の際神田台(水道橋北側)に移し、明暦三年(一六五七)の大火ののち現在地に移転。文祿四年(一五九五)曹洞禅の修学のために旃檀林を創始した。

(二)東京都武蔵野市の東部、中央線吉祥寺駅を中心とする一帯の地名。明暦の大火後、吉祥寺門前町の住民がこの地に転居したところから、その名がある。現在は住宅地として発展し、JR中央本線、京王井の頭線が通じる駅前は、商業集積がいちじるしい。

『精選版 日本国語大辞典』を引くとそのようだった。私は二十数年間を多摩地区で過ごしてきたので、(二)の吉祥寺には非常に馴染みがあるが、(一)の吉祥寺には行ったことがない。いま住んでいる新宿の外れから駒込はそう遠くない。ここはひとつ、本物の吉祥寺を見てやろうと大江戸線に乗った。

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2022-12-28

仕事納めをした。Slackで飛び交う「良いお年をお迎えください」の挨拶が抒情。冬は寒くて耐えがたいけれど、年の瀬と正月の雰囲気は好きだ。悪い思い出が少ないからかもしれない。

世間様だと、帰省して堅苦しい親戚の集まりがあってさしておいしくもないおせち料理を食べながら大学生活について気まずい会話をするような正月もあるのかもしれないけれど、父方も母方も親戚が全員東京にいるため、わざわざ集まることはない。いつでも会えると、逆に常に会わなくなり、とくに母方などは十年も会っていない人がざらにいる。正月とか居住地とか関係なく、もともとそうした付き合いは稀薄な家なのかもしれない。

仕事が終わったら飲みにでも行ってやろうかと思ったが、今日が仕事納めの人が多いだろうから、それゆえに混み合った街で一人で飲む気分ではなかった。かといって適当な相手も思いつかず、何人かの顔は浮かんだが、いずれも帰省してしまっているか、あるいは近々会う予定のある人たちだったので、まあいいかと思ってやめた。それで部屋の掃除をしてスーパーに行って料理をした。

料理は十日ぶりとか、それくらいだったと思う。なかでも夕食をつくるのは前回日記を書いて以来で、料理をしようと思うタイミングと文章を書こうと思うタイミングが同じ可能性がある。いずれも少し余裕がないとできないのかもしれない。ここ二週間ばかり、研修で書籍の企画を考えたりそれが会議でぼろくそに言われたりで常に頭の片隅に仕事のことがあるような状況だった。その研修も今日で終わりである。

ご飯を食べ、これを書いている。寒くなってくるにつれて電気代がえげつないことになっているので、ボーナスも入ったことだしと防寒具を買いそろえているのだが、今日は半纏が届いた。先日届いた電気毛布で足下を暖めながら半纏を着ているとエアコンが要らない。無精髭も生えているし、半纏を着ているし、ふと鏡などで自分の姿が目につくと、随分所帯じみたような、とはいっても無頼な生活、という感じがする。煙草がしみじみとうまく、フィッシュマンズが流れている。フィッシュマンズは冬だよな、と思う。これが二十四歳の冬なのか。この気楽さが悪くない。