2023年1月17日(火)

日曜に17時間も惰眠を貪ってしまったゆえに、いちおう定時のある会社員とは思えないような生活リズムなので、日記の日付とか意味がなくて、いまは18日の午前6時だけれども気分的には17日なので17日の日記として書く。

眠れないなと思いながら前回の日記を書いたあと、気づいたら三時間くらい意識が落ちるように眠っており、六時前くらいに目覚めた。本当はそこでもう一眠りしたかったがうまくいかなかったのでバスで新橋まで出て喫茶店に行く。地図を見ていたら新橋までバスで行けることに気づいたので。

私は銀座線と丸ノ内線と御堂筋線以外の地下鉄はだいたい好きじゃない。一回地下深くまで降りて電車に乗ってまた地上に出るなんて馬鹿らしい。その点バスはいい。道端でぼんやり突っ立っているとバスが来るのでそれに乗るだけだ。しかも地下鉄と違って景色まで楽しめるのだからお得だ。都区内ならどこまで乗っても同じ料金という明快さも好ましい。税制に必要なものだ。

内幸町のバス停で降りて写真を撮りながら新橋の珈琲大使館へ行く。曇天で寒いが、写真にとっては曇天というのは悪いことではない。光が均一で太陽の位置を気にしなくて済む。

ここはモーニングはないが、トーストがもとからそんなに高くない。アイスカフェオレとシナモントーストを頼む。シナモントーストにはホイップクリームがついていて、それは軽い口当たりのものでおいしかったけれども、もともとクリームが得意じゃないので終盤は結局頭がしびれるような感覚がある。

家に帰って定時より三十分遅れで始業。一応事前に連絡しておいたが、フルフレックスでコアタイムもないので本来は遅刻でもなんでもないはずなのだが、なんとなく気が引ける。世の中にはこの種の暗黙の強制が多すぎる。しかし全体的には生活リズムがめちゃくちゃでもなんとか勤まるレベルの緩い職場であり、大変助かっている。

今週、仕事はとても暇。私に課されている業務は気合いを入れれば一営業日で終わってしまいそうなので気合いを入れないでいる。そんなに暇なら他の人の仕事を手伝えばいいと思うし、私としてもそれくらいの社会性や倫理観はかろうじて持ち合わせているが、どうも先週の会議で聞いたところによると部署全体として暇な時期らしく、それならと思って特段何も言わずにいる。どの道繁閑に多少の波がある職業なのだ。

三十分遅れで始めたので三十分遅れで上がっておく。しばらく読書にふけり『ルワンダ中央銀行総裁日記』を読み終わる。ちょっと前に中公新書らしからぬ、なろう系みたいなコピーが書かれた帯がついて書店に平積みされていたが、実際はロングセラーで、補訂を付した増補版すら2009年の刊行である。なぜ改めてプッシュされたのかは知らない。よく売れたためかブックオフで100円の棚にあったので買って読んだ。途中難しい財政の話などもあるが(適宜斜め読みした)、全体に達意でユーモアのある文章で、面白かった。私は何もかも気力がないのに、数十年前に異国で一国の中央銀行の長として経済を建て直すべく奮闘した人の文章を読んでいる。彼はフランス語と英語を駆使して、当地の政治家やヨーロッパの銀行員、国際機関の職員と渡り合っている。随分能力のある人らしい。そのあまりに私に関係のない加減が心地よい。

自販機でコーラを買えば170円だか180円だかもする世の中なのに、面白い本が110円で買えるというのはどうも不思議な気持ちになるが、もとから価格と価値というのは必ずしも相関関係にない。どうにも気力がなくUber Eatsでマクドナルドを頼んでしまう。かなり疲れているサイン。

それを食べ終わるとまた意識を失ったように眠っていて起きたら午前1時だった。生活がわずらわしくてそんなものにかかずらいたくなくまた本を読む。ウエルベック『闘争領域の拡大』。一度読んだ本で文体も簡明なので頭を使わずに読める。暇つぶしとしての読書。

とはいえ途中でお腹が空いたような気もしたし、この前買った牛肉の消費期限がさっき切れたところなので捨てるのもやぶさかでなく焼いて食べる。この前と違って焦がさなかったけれども、すぐに冷めてあまり美味しくない。肉の脂が苦手だな、と改めて思う。調理法が悪いのかもしれない。スーパーでカット野菜を買っておいたのでそれにドレッシングをかけ、インスタントの味噌汁も飲む。それらは何の手間もかかっていないのにおいしい。

今日は燃えるゴミの日だけれども捨てるものをまとめて出す気力がない。風呂に入るのも面倒だ。洗い物も面倒くさい。だがゴミを捨てたり洗い物をしたりすることでしか人生は好転しない。これは私が二十四年の人生で到達したひとつの見識だが、しかし面倒くさい。助けてくれ、と思う。いまは何もかも面倒で仕方がないし、そういうときだから一日に二冊本を読んでしまう。それこそウエルベックがこう書いているではないか。

人は人生を愛しているときには読書はしない。それに、映画館にだってほとんど行かない。何と言われようとも、芸術の世界への入り口は多かれ少なかれ、人生に少しばかりうんざりしている人たちのために用意されているのである。

——ミシェル・ウエルベック『H・P・ラヴクラフト:世界と人生に抗って』(国書刊行会)

仕事も耐えがたいものではないが楽しいとまでは言えない。耐えがたいものでないならばそれはすでに僥倖だとは思うものの、人生って本当にこれで合っているのかという感は拭えない。寒いしうまく眠れていないし、かなりどうしようもない。それもこれも半分くらいは仕事が暇なのが悪い気もしていて、適度ならば忙しい方が余計なことを考えなくて済み、健康に良い。こんな世迷い言を書き連ねているような暇はないほうがいいと思う。だいたいそうした空虚さは五年も大学に通ってなにひとつ学ばなかったあの時間だけで十分だ。何回こんな文章を書けばいいんだ。とはいえ私は忙しいなら忙しいで体調を崩すような人間なので、何かがかみ合っていない。

どうでもよいが、上のAmazon.co.jpの販売ページで「この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています」を見ると『ピダハン』と『ブランド人になれ!』が並んでいる。ここが人文書とビジネス書の交差点。たしかにどちらの観点からでもかなり面白く読めるものと思う。