2024-08-08 東京を離れる

こちらで書いたことはなかったと思うが、少し前にひょんなことから転職を考えはじめて、ちょうど良さそうなところが募集していたので受けてみたら通った。選考過程を進んでいるあいだ逡巡していたが、心機一転と思い行くことにした。

私は気が小さいところがあるので、内定してからしばらく上司に言うタイミングを窺っていたが、そろそろのっぴきならない状況なので昨日上司に伝えた。本当ならお互いに出社する機会にと思って昨日を選んだのだが、上司のお子さんが発熱したらしくリモートに切り替えていた。私は出社していたので結局会議室を予約して一人で入ってオンラインで話すことにした。

上司に約束した時間まで少し間があったので、喫煙所に行ったらダウナーな社員も煙草を吸いに来た。この人は、私が入社してすぐに「何かある」と思ってお茶を誘ったことのある人である。喫煙所で私を見るや、疲れ切った声で「最近どうですか? 僕は何もやる気しないです」と、素晴らしい挨拶をしてくれたので、本当は順番が違うのだがこの人ならいいかと思って退職の話をしたら笑顔になっていた。「僕は地元に帰ってなんもしたくないです。マイルドヤンキー的生活を送りてえ」と言っていた。「10代20代の頃に、東京に来れば何かあるかも、と思っていたような気持ちが消え失せた」らしい。

それで緊張が幾分ほぐれた。上司はできた人なので、ひとしきり残念がってくれたあと、いろいろと励ましの言葉や(次も同業の会社なので)助言をいただき、肩の荷が下りたなあと思っていると本当に肩が軽くなったので驚いた。とても仕事のしやすい人だったのでこの人と働けなくなるのは私としても残念である。

さて次の職場は京都にある。横浜に生まれて一年後に東京に引っ越してきたので、ちょうど四半世紀住んだ街を離れることになる。ついこの間同棲のために引っ越したばかりで、無計画な人生だと自分でも思うが、これまでもずっと軽いフットワークだけでなんとかしてきたので仕方がない。

当地にいるうちに、東北方面などまだあまり行けていない土地に赴いておくべきなのかもしれないが、あいにく金はない。18きっぷでも使うか。東京でも知らない街もいくらでもあるのだが、こう暑いとあまり散策する気になれない。結局大したことはしないまま東京を離れることになるのかもしれない。近頃は中央線の車窓を眺めるだけでも少し感慨深い。

とはいえ、東京にはもう結構飽きている。嫌いではないが、うきうきするような気分がもうない。一方で、東京を離れるとしても都市の文化的な側面を十分に享受できるような広がりのある土地には住みたい。そんな条件を満たしうる都市は、京阪神くらいしかなさそうに思える。仙台や福岡ですら、住みやすそうとは思うけれどあまり楽しくはないという印象を抱いている。文化はもちろんあるのだけれど、少し広がりに欠けるというか、とにかく集積の著しい東京や、三都にそれぞれ個性がある京阪神とは比べられない。名古屋は、ちまたで言われるよりは面白い街だと思うが……。そういう意味では、京都に住めることはとても楽しみ。おそらく向こうもいずれは飽きが来るのだと思うけど。

私の関西に対する憧憬は、(東京から京都の大学へ進学する人の大方がそうであるように)ティーンエイジャーの頃に読んだ森見登美彦や万城目学の小説を種として、主に学力の面で課題があり順当に東京の大学に進んだわけだが、学生時代も頻繁に関西を訪ねることでその憧憬はふくらみ、最終的には自分と同じように生まれ育った東京を離れ、関西で大作をものした谷崎潤一郎や九鬼周造によって完成された感がある。

しかし、今までは関西が、現実と向き合わなくて済むような「ここではないどこか」だったのが、そこで生活するようになると東京を恋しく思うようになるのかもしれない。いま関西を魅力的に思うのは、喫煙所で出会った社員が東京に対して抱いていた憧憬と少しは似ているだろう。それでも、人生で一度くらいは生まれ育った場所を離れるべきだと思う。そういうわけで、さらば東京、命あらばまた他日。では、失敬。

2024-07-04

キーボードを新調して、それがタクタイルのあるメカニカルキーボードなのですこすこすこという音がとても気持ち良い1。だから何かしらそれを使って書くものがあると良いと思っていたのだが特にない。そもそも仕事でもなんでもない、実益のない文章というのは一人でないと書けないものではないだろうか。今日は連れ合いが会社の飲み会に行っているのをいいことにUlyssesを起動して何事かを書き始めてみている。

いまの家を内見したとき20年もののエアコンの存在に気づき、きっと電気代ばかりかかって利きが悪いだろうから早く壊れるといいなと思っていたのだが、住んでみるとやはり、陽当たりの良い部屋でもあり最近の暑さにまったく太刀打ちできておらず、一応冷たい風が出てはいるので完全に壊れてはいないものの、不動産屋に設定温度をいくら下げても室温が下がらず困っている、と電話してみたらあっさり交換と相成って、今日電気屋が来てパナソニックの真っ白なエアコンを取り付けていった。

さて書くことがもうない。頭のなかにいま何もない。ありがたいことに、人と暮らしていると思ったことは大抵話せるので、何か書くべきものが熟成されていかないのかもしれない。私は書くことを生業にしているわけではないのだから、それで困るわけでもない。あるいは最近読書量が減っているからかもしれない。読書というのは閉じた娯楽なので、目の前に人がいるのに本を読むのはためらわれる。しかし、書くこととは違ってそのためらわれるものを作る仕事をしているのだから、読めないことはきっと健全ではないだろう。

退勤してから自転車で吉祥寺の図書館にほとんど読んでいない本を返してまたあまり読めないだろう本をいくつか借りてきた。それからジュンク堂にも行ったが何も買わなかった。図書館や書店に行くことが義務めいてきている。とはいえ季節はもう夏なのだから、何かを読まなくても街を練り歩いているだけで楽しいと思う。梅雨が一向に来ないのはどうしたことだろうか。


  1. 製品ページ。怪しすぎるのだが、それなりに実績のある中国のメーカーである。技適を取得していないので無線での使用は日本では違法であることなど、留意すべき点はあるが、割引クーポンを利用して1万円以下だったので、おすすめ。

丸の内のインド人占い師

さっき、丸の内の路上でインド人の「占い師」に話しかけられた。 20代から30代前半くらいだろうか、この暑いなか長袖のシャツにスラックスというきちんとした身なりをした男性である。

“Excuse me?” “Yes?” “You have a lucky face.”

こんな調子で彼は話しかけてきた。“You are a very lucky man.” “I’m from India.”“Three happiness will come next month.”などとまくし立てる。何やら手帳を開いて、そこに挟まっている古びた長髪の男性の肖像画のようなものを見せてきた。多分教祖か何かなのだろう。

怪しいなと思いながらも、そのインド訛りの英語を聞き取るために必死に耳を傾けていると、おもむろに小さな紙片を取り出して、おそらく何かを書き付けて私の手に握らせた。

それから彼は、手帳の新しいページを開いていくつかの質問をし、答えを手帳にメモしていった。

「好きな花は?」「ひまわり」 「名前は」「○○」(当然ながら日本語の名前なので、彼は苦労してそれを聞き取って「これでいいか?」と言いたげに見せてきたが、それは微妙に間違っていた) 「年齢は?」「26」

手帳には、sunflower、私の名前のローマ字、そして26という数字が記されている。

それから彼は自分の目を見るように指示した。「あなたの目から幸運を感じるから、見せてほしい」というようなことを言って。吸い込まれそうな澄んだ瞳だった。

そして、私の真似をしろ、と言うように握り拳に息を吹きかけ、それをおでこの前に持っていって一瞬目を瞑った。私は紙片を握っている手で同じことをした。それから私の手を開き、紙片を開かせると、先ほど手帳に書きつけたように「sunflower」「名前」「26」という文字が記されている。私は驚いた。

驚いている私に、「三つの幸運が来月訪れる」とか「あなたは考えすぎるきらいがある」とか「私はあなたのために祈る」と言いながら、早口の英語で目を瞑って何か祈りのようなものを唱えた。

再び手帳を取り出し、何やら集合写真のようなものを見せ(この辺で私はああお金が目当てか、と思ったわけだが)、私は世界中を旅していて、お金が必要だ、というようなことを言った。集合写真のことも多分何か言っていたのだと思うがうまく聞き取れなかった。

先ほど見せられた手品に私は感心したので、小銭くらいなら払っても良かろうと思って財布を取り出すと、「paper moneyをくれ」と言う。「コインじゃ受け入れられないのか?」と私が聞くと「コインはstabilityがない。それは幸運をもたらすのに必要なものだ」などと訳のわからない屁理屈を言う。仕方がないので千円札を渡そうとしたが、あいにく紙幣が1枚も入っていなかった。

それで、わかった、じゃあ私についてきてほしい、お金を引き出すからと言うと彼はOK、と言って横断歩道の向かいにあるKITTEを指差した。ちょうど信号が点滅していたので私と男は走った。KITTEの前を少し歩き、郵便局を見つけると「ここでお金が引き出せるか?」と聞いてきたので、多分ね、と答えたら「あなたは私にいくらpaper moneyを払ってくれるのか?」と言いながら手帳を開いた。

手帳には「P 30000」「M 60000」「R 90000」と書いてあった。Poor manならこれ、Middleならこれ、Richならこれだ、と男は言う。思わず私は「これはYenか?」と聞き返し、そうだ、私はあなたのために祈ったのだから、と言うので慌てて「いやいや、私はそんなにリッチじゃないんだ。私はあなたのマジックに感銘を受けたから(そこで男はMagicという言葉を聞いて「Meditation」と言い直した)お金をあげるけれど、千円しか払わない、それが限界だ。それでいいか?」とまくしたてると男は渋々同意して、ここで待っているよ、と言った。

私はKITTEに入って郵便局のATMに歩きながら、男はついてきていないのだしこのまま別の出口から抜け出してしまおうかとも思ったが、どのみち現金を下ろす必要はあったのでATMを操作し、そして千円あげることにした。出口に戻ると男はスマホを見ていた。それで千円渡すと、男は何かぶつぶつ言って立ち去ろうとしたので、私は「名前はなんて言うんだ?」と聞くと「スィンだ」と言う。綴りを尋ねると「Singh」と答えた。私は男に挨拶して立ち去った。男は足早に八重洲のほうへと歩いていった。

すぐさまTwitterで「丸の内 インド人」と調べると、詳しい情報がすぐに出てきた。丸の内界隈でたまに出没しているらしい(おそらく)シク教徒のインド人で、丸の内に限らず100年も前から目撃証言があり、世界中の大都市で辻占いをしていて、シク教徒の男性は皆Singhという名前を持っているという。その紙片を使った手品もまったく同じで、あの高野秀行氏も昔100ドルを渡す羽目になったらしい1

私はそれを読みながらなんだかおかしくなった。そんなことをしながら長年生き延びている人々がいるとは。私に目をつけたのは、給料日にApple Storeから出てきたので金を持っていると踏んでのことだろうか。目の付け所は非常にいいけれど千円しかもらえなくて残念に思っただろうか。でも私がある程度の英語を話せる上に、そういうスピリチュアルな話を受け入れる用意のある人間だったからむしろラッキーじゃないか。それにしてもあの手品はなかなか洗練されたものだったし、そういう面白い生き方をしている人間に出会えただけでも、千円を渡す価値があった。脚注に挙げたブログを見る限り、面白がっているだけでは申し訳ない、彼らなりの事情もあるようだけれど。

そんなことを思いながら、これまでに数多ある目撃証言に私のものを加えるため、喫茶店に入ってすぐさまこれを書いている。あの小さな紙片をもらっておけばよかった。

2024-04-10 真夜中の仕事

明日の朝一でお送りします、と伝えた原稿を夜な夜な編集している。

昼間は車が絶えることのない幹線道路の交通量もぐっと落ちて、きっと飛ばしているであろう走行音が時折遠くに聞こえる。眠っている同居人のために部屋もほとんど真っ暗で、コンピュータのディスプレイは照度を最低にしても無闇に明るい。

朝が来るまでに終えられるのか。明日の仕事は大丈夫なのか。ひりひりした焦燥のために本数が多くなる煙草の煙は、ディスプレイに照らされていつもより青っぽく見える。そんな時間。そんな時間に仕事をするのが嫌いではない。

タイムラインをスクロールしてもほとんど新しい投稿は増えず、SlackのメンションもLINEの通知も来ない。深夜は携帯の通知を切っているのでもとより来るはずもない。こんな文章を書いているのだから説得力に欠けるけれど、それでも明るいうちよりずっと仕事が捗るのは確かだ。

いつまでこんなやり方ができるのだろう。抜き差しならない状態に追い込まれないと手をつけられない怠惰さ。丑三つ時を過ぎるとともに去っていったかのような睡魔。眠くないのに疲れてはいる体をカフェインとニコチンでごまかす。こんなことをいつまでも続けていられるはずがない。明日、また1つ歳をとる。いつになれば私は私とうまく付き合う方法を見つけられるのだろうか。

2024-03-25

昼間に惰眠を貪りすぎてしまったので仕事をせねばならないが、自宅では気乗りしないので近所のネットカフェに来ている。夜だとナイトパックが適用されて、数時間滞在しても千数百円で済むことが多い。とはいえお金を支払っていることには変わりなく、わざわざ移動して、わざわざお金を払って、というコスト意識から仕事に集中できることを期待しての行動である。

学生時代もよく同じことをしていた。ウェブ制作などのフリーランスまがいのことをして小遣いを稼ぐことがしばしばあったのだが、そのときは実家住まいで尚更集中しづらく、電車で十分程度の駅まで夜な夜な移動して、そこのネットカフェで徹夜で作業をして、朝方帰るようなことがよくあった。徹夜といっても、無理をしていたのではなくただ夕方に目覚めるような日が多かっただけである。

当時、ネットカフェは分煙の店がほとんどだったが、今私がいる店は全席禁煙であり、その代わり広いバルコニーが喫煙所になっている。バルコニーに出ると、何をして食べているのかよくわからない人たちがドリンクバーの紙コップやスマートフォンを片手に煙草を吸っている。この雰囲気にも懐かしさを覚える。

学生時代は普通のアルバイトもしていたのだが、それでは賄いきれぬ突発的な出費のために単発のアルバイトもたまにしていた。私は体力がなく、一方で時間を浪費するのは得意だったから、一番よくしていたのは試験監督だが、その口が見つからないときには、東京湾の物流倉庫に行ってピッキングをするとか、大学の新入生に配布するパソコンを数百台セットアップするとか、他にもいろいろなバイトをした。

そのなかで一度、パチスロの動作検証のアルバイトをしたことがある。指定された手順でパチスロを操作し、想定通りの動作をするか確かめるものである。なぜか夜勤の仕事で、上野駅近傍の雑居ビルに23時くらいに集められ、朝6時くらいまでひたすらパチスロを打ち続ける。

普通、そうした業務はパチスロが好きな人が応募するのだろうが、私はあいにくパチンコしかしたことがなかったので、まず「目押し」を習得するように指示された。ボタンが3つあるので、それを順に押してチェリーとか数字の7とかそういった役を3つ揃えるための技術である。それができないと動作検証もできないので、ひたすらボタンを押し続ける。

そのとき台がどういう設定になっていたかは知る由もないのだが、おそらく検証のために揃えやすい設定であり、1時間ほどである程度目押しができるようになり、その後は紙に記載された手順通りに検証を進めた。

だいぶ話が長くなった。その雑居ビルにも喫煙所があり、同じアルバイトをしている人たちがいたのだが、その喫煙所の雰囲気が、このネットカフェの喫煙所と似ているのである。薄暗いが広く、何人か方々に散らばり、誰も他人と話したりせず、別に憂鬱そうでもないが、希望も特にないような表情の人々が、ひたすら煙を吐いている。東京は広いと思った。

そのような日々が過ぎ去って、今日のネットカフェに至る。何かは変わり、何かは変わらない。今では聴かなくなったバンド。私はどこへ向かっているのだろうか。

2024-03-20 (2)

春分が国全体で祝われるべき日であるというのは少し不思議に感じられる。しかし理由はともあれ、私の勤めでは祝日は休みであり、休みは良いことである。週末に結婚式への参列を控えているので髪を切ることとした。

前回美容室に行ったのは半年近くも前のことで、それも結婚式が近づいたから髪を切ったのだった。そこから伸ばし続けた髪はセットするのも一苦労であり、そうするとセットしなくなるので余計に収まりが悪くなる。

中央線と山手線を乗り継いで原宿で降りた。予約サービスで安くて腕も悪くなさそうだったのでそこにした。祝儀も払わねばならないので金がなく、安いに越したことはない。前回切ってもらった人で良かったのだがその人はニュアンスパーマしか受け付けていないというのでやめた。というかニュアンスパーマって何? それこそニュアンスでしか判っていない。

美容室では以前は何も話さずに本を開いて読み続けていたのだが、それも感じが悪いような気がして最近は少しは話すことを試みている。本を開いているとまったく話しかけてこないことが多いのだが、スマホを見ている場合はその限りではない。案の定、今日はお休みですか? と尋ねられ、ひとしきり仕事の話をした。

仕事の話をしてしまうと、それ以上は特に話すことがなくなり、美容師は何ヶ月分も伸びた髪を黙々とカットをし続けた。私も黙々と他人のブログを読んだ。しかしカーラーを巻く頃になって、福島県出身というその美容師が専門学校に入る際に上京して住んだ街が私の実家がある街であることが偶々判明し、そこからはひたすら武蔵野台がどうとか調布に映画館ができて云々とか話していた。

天気の不安定な日で、私が家を出たときは雨は止んでいて、髪を切られているときは晴れてもいたのだが、パーマがかかった頃には土砂降りで風も強く吹いていた。それを見て陰鬱になる。セットしてもらって美容室を出るときも相変わらずで、青山ブックセンターでも歩いて行こうかと思っていたが、早々にそんなことは諦めて近所の喫茶店に避難した。暴風雨と呼ぶほかない天気だった。

クリームソーダを頼んだあとに同居人から電話が来て、玄関の戸が閉まらなくなってしまったという。我が家の玄関には欠陥があり、強風に煽られて勢いよくドアが開くとそのまま廊下の手すりに挟まってしまって固定され、びくともしなくなるのである。前日にも不動産屋に助けを求めたらバールを持ってやって来て、てこの原理でドアを動かしていた。しかし今日は水曜で不動産屋は休みであろう。彼女も今日美容室の予約がありもう出ねばならないというので、仕方なくドアを開け放したまま外出することに合意した。

電話を終えて戻るとじきにクリームソーダが置かれた。メロンソーダが甘すぎてそこまで好みではなかったが、ドアが開いているのが気になって味もよく判らない。気休めに、置かれている漫画を手に取り1巻読み終わると店を後にした。幸いもう雨は止んで晴れていた。

行きは中央線で来たが帰りは座りたかったので代々木で乗り換えて総武線に乗る。新宿で座れるだろうと見越してのこと。案の定座れた。荻窪で降りるときに、中年の女性が私が降りた電車に乗り込もうとして転ぶのを見て思わず駆け寄ると、女性はすぐに立ち上がったが左足の靴がなかった。驚いて「靴は? 靴どうしたの?」と子供に問うように尋ねてしまう。「こっちの靴だけ(線路に)落ちちゃって」と女性は答えた。私が何をできるでもなく立ち尽くしていると「車掌が参りますのでそのままお待ちください」と放送が入り、女性が「もう大丈夫ですから、ありがとうございます」と言うのを聞いて立ち去った。

駅前の西友でバールを探すが見当たらず、とりあえず縄と滑り止めのついた手袋を買った。それから夕食を私が作ることになっていたのでカレーのルーと具材を買った。そうして家に戻ると、やはりドアはまだ開け放しである。具材を冷蔵庫に入れてすぐ縄を持って手袋をはめドアに立ち向かう。縄をドアノブにくくりつけようとするが風が強すぎて寒くてうまくいかない。何度か試したがだめで、縄を諦め手袋でドアノブを握って力任せに引っ張ったらドアは閉まった。やれやれと一服する。昨日閉まらなかったのは素手で閉めようとしたからなのか。あるいは今日の方が手すりへの挟まり具合が弱かったためなのか。

最近平民金子氏の『ごろごろ、神戸』を読んでいて「家のカレー」が登場したのを見て食べたくなり、作ることにした。普段食事は彼女が作るか外食するかで私が作ることはないのだが。たまにする分には料理は無心になれて良いと思う。適当に手を動かすと美味しいものが食べられるという仕組みなわけだから、趣味としてはこれ以上のものもなかなかない気がする。とはいえ私は一人暮らしをするまで包丁すらほとんど握ったことがなく、二年弱の一人暮らしの間も30回くらいしか料理をしていないはずなので手際は非常に悪い。悪いながらもカレーくらいならなんとか作れる。カレーのとろみが出てくるのを待っている頃に彼女が帰宅し、一緒に食べた。見た目は悪いが、まさしく家のカレーの味だった。

第18回 ライスカレーの夢 - 『ごろごろ、神戸2』『ごろごろ、神戸3』

2024-03-20

暦の上では春分であり世間では桜もそろそろ咲き始めようという感じらしいが、春めいた陽気とはまだまだ言いがたい。私が満足する程度の温暖さというのは実際5月くらいまでやってこない。

最近は仕事もまったく捗らず(私がまったくと言ったら文字通りまったくという意味である)、家では何をするでもなく寝てばかりいて同居人の顰蹙を買っている。今日などは街を歩きながら会社を辞めることばかり考えており、終業後に会った友人からの麻雀の誘いにも魅力を感じられず、売るほどあった性欲も生じにくく、ただでさえ少食だったところ先週インフルエンザに罹患して以来本当に食べられなくなり、なるほどこれは多分ちょっとしたうつ状態なのだろうと思い至った。

思い返せば感染症が流行し自宅に引きこもらざるを得なくなったときや会社に入ったときもしばらくするとこのような無気力に陥っていた。今回は転居を伴う同棲の開始と業務上の役割の変化が原因である気がする。時間が解決してくれる種類のものとは思うが、その間もどうにかやり過ごさねばならない。このブログも、突発的な感情の昂ぶりによって投稿した前回を除けば数ヶ月ぶりの投稿であり、文章が書けるようになったことは若干の回復の兆しと考えてもよいと思う。

会社を辞めたとして何がしたいか考えていたのだが、職場以外で仕事のことを考えなくてよい職業が望ましい。いまの仕事は考えようと思えば四六時中それについて考えることができ、またそうせざるを得ないような感覚もある。これは仕事が楽しいときは別によいのだが、いまのように消耗しているときはなかなか厳しいものがある。沖仲仕のような単純な肉体労働に憧れる。海の見える港町に独居し、肉体労働で日銭を稼ぎ、それを煙草やコーヒーに使い、図書館や古書店で入手した本を読みながら、心地よい疲労感を覚えて寝る。そのような生活に憧れるが、憧れるだけでなく実際にそれをすることもできる(私の乏しい体力の問題を考えなければ)。

何はともあれ、もう少し暖かくなってくれないと困る。それに尽きる。新しい土地での新しい生活——実際には、比較的見知った土地での新しい生活——に伴って思っていることはたくさんあるはずなのだが、それを書き留めておくだけの気力と時間と表現がいまの私にはない。