2023年1月21日 土曜日

昼前に起きて、諸々の雑用を済ませると午後二時を過ぎていたが、多摩美術大学の統合デザイン学科の卒展に向かう。午後五時までだったが、学科の規模だし、一時間半くらいあればとりあえず回れるのではないかと思って。随分以前から行こうと思って行き逃していたのだが、今年はきちんとGoogleカレンダーに登録しておいた。

天気は良いが、風が強くて寒い日。この風がなければ随分違うと思うのだが。『細雪』で、大阪から東京に転居した姉が、芦屋に住む妹に対しての手紙に、東京というのは風が強くて冬の寒さが厳しいと聞いてはいたが、これほどとは思わなかった、そちらはきっとしのぎよいことでしょう、といったことを書いていたのを思い出す。私は関西の冬といえば京都の寒さが厳しいことばかりが印象に残っているのだが、阪神間はたしかにしのぎよさそうな感じがする。

副都心線に乗って、そのまま東横線に直通。渋谷と代官山のあいだで電車は地上に出る。休日の昼下がり、光がどこかのどかな車内に射し込んでくる瞬間は美しい。自由が丘で大井町線に乗り換えて上野毛へ。先月、上野毛の一駅手前の等々力で降りて、尾山台、九品仏1、そして自由が丘へと戻る形で散歩したのだが、上野毛はまたいずれ行く機会もあろうと思って歩かなかった。

武蔵美と藝大には知り合いがおり、それぞれのキャンパスには何かの展示などで足を運んだことが何度かあるのだが、多摩美は行ったことがなかった。八王子のほうにたしかメインのキャンパスがあるのだが、そちらも同様。上野毛と言うなら野毛2の近くにあるべきではないかと思いながら降りる。実際には野毛までは数十キロはあるだろう。

駅前は環八が貫いていて、多摩美のキャンパスもそれに沿ってある。先述の通り、メインのキャンパスは八王子で、あの伊東豊雄の手になる有名な図書館もそちらにあるのだが、だから上野毛のキャンパスにはたぶんいくつかの学科しか置かれていないようで、校舎も結構古い建物が多く、どことなく「大きな高校」というような印象。私は文化祭の資材が廊下に積んであるような雑然とした公立高校に通っていたので懐かしい雰囲気。

私の通っていた高校でも校長の等身大パネルが制作されて廊下に置かれたりしていたなあ、と懐かしくなる。

私は美術についてはほとんど知識を持っていないと予防線を張らせてもらうが、そのうえで、展示全体に対して、素直だし、社会性がある、という印象を受けた。なんらかの疑問、なんらかの感情、なんらかの考えがあるとして、それに対してわりあい素直なアプローチで、社会をよくしようというような態度で応答しているような作品が多いように思った。

しかしながら、教員の顔ぶれなんかを見ると、それこそがその学科の目指すところとも考えられ、だとすれば素晴らしい達成なのだと思う。ユーモラスな作品も多かったが、それについてもなんとなくデイリーポータルZみたいな感じがした(私はデイリーポータルZを長年愛読していますが)。

良い例とは言いがたいけれども、たとえば歩きスマホについて気にかかる点があったとして、歩きスマホをすると認知できなくなる段差を設けて、注意を促すみたいな感じ。そういうのは面白いと思うし、それはそれで好きなんだけれども、ただ、私が芸術に対して期待しているのは、歩きスマホという課題を解決するのではなく、走りスマホのような全然別の方向性を提示することで、それは結局のところデザインとアートの違いなのかもしれないが、このテーマは何か口を出すと口角に泡を飛ばしていかに私の認識が浅薄なものか指摘してくる人が多いので詳しくは踏み込めない。浅薄なのもたしかである。

いくつか、面白いなと思った作品をお目にかけたい。どこかで紹介しようと思って写真を撮ったわけではなかったので、キャプションを撮り忘れてしまったものもある。自分が作り手だと仮定して、クレジットなしで自分の作品を紹介されるのは非常に腹が立つが、一方でクレジットなしでも紹介されないよりはされたほうが嬉しいと思ったので、載せることにした。もしわかったり、コメント欄やTwitterのDMで教えてくれたりする人がいれば追記します。

水滴についたものをそのままに保存しておく作品。ほかにもいくつかあったが、鍋のふたが一番好きだった。

ものごとの「ちょうどよさ」を探る作品。餃子のほかにはおにぎりがどれくらい三角形に近いか、あるいは丸みを帯びているか、といったものもあった。

鵜飼東吉さんの『パワー』という作品。この作品に対してパワーっていう題がよかった。

角田果穂さんの『Ordinary days』という作品。2年と少しの日々がそれぞれ1日ごとにタイルになっている。手数が多ければよいというものでもないんだろうけど、ここまであるとやっぱり素直に感銘を受ける。イラストのトーンもかわいらしい。

長沼梨子さんの『if』という作品。信号の説明にある「高付加価値化のニーズ→六色へ」というのが人を食ったような感じでよい。

この但し書きの通りで、作品を見ていないのだけれど、ハバ ナイス デイ!

以下は動画。限定公開にして検索なんかではヒットしないような設定にしています。なにか問題があればお知らせください。

シンプルに面白い。

書かれた手紙に、手紙を書くときの様子が投影されるという作品。芳名帳がおもしろいです。行ける人は行ってみてください。展示が終わったらどうおもしろかったのか書き加えますが、すごいですね! って作者の方にお伝えしたのにキャプションはメモし忘れた。

平島慶東さんの『メタモルフォーゼ』という作品。金属のように見える物体がやわらかい、というのが、本当にプリミティブな面白さがあった。

いままで武蔵美と藝大の卒展には行ったことがあるのだが、それらは多くの学科が同時に、キャンパス全体や近隣の美術館なども使って行うような広大な展示なので、比べものにならないかもしれないが、それにしても卒展の動線はすばらしいもので、初めて行った大学の敷地で迷う余地がなかった。統合デザインと題するだけのことはあるなと思う。

ただ一時間半ではやっぱり少し足りなくて、やや駆け足で回るような形になってしまった。キャンパスの一角では演劇舞踊デザイン学科の展示もあって、それは行ってみるまで知らなかったのだが、そちらにはあいにく足を運ぶ余裕がなかった。卒展は今日(22日)までなのであれだけれども、たぶん二時間半くらいはあるとちょうどよいと思う。感染症の影響で、他大学の卒展が事前予約制や入場制限を取っているなか、予約不要で気軽に足を運べるのは楽だった。キャンパスが禁煙だったのは残念だった。

いずれにしても、美大の卒展に行くと、なにかを考えてものを作っている(多くは同世代の)人たちがここにたくさんいる、という事実に励まされる感じがする。彼らはべつに、そんなもののためにやっているわけではないだろうが、美術と無縁の私には、そのような受け取り方しかできない。


そのあと、新宿で待ち合わせて、中学時代の塾以来の、腐れ縁としか言いようがない関係の男二人と合流。歌舞伎町で凪3を食べて私の家で酒も飲まずに喋る。彼らは俗物なので、くだらない話をいくらでもできるのが助かる。私はインテリみたいな顔をしているが、母親は元キャバ嬢で祖母も銀座のキャバレーで働いていたような家の生まれで、ベースはそこにあるのでくだらない話は大好物だが、良識のある人々は顔をしかめるのだ。

我々はみな東京の郊外に実家があって、国立4という街の塾に通っていた。ひとりはその後、高校も大学も一緒だった。もうひとりはどちらも別だが、学生時代、家が近いゆえ深夜に突然呼び出しても会えるというので関係が続いていた。

ただ、いまや全員勤め人で、一人は千葉にある社員寮に、私は新宿に一人暮らしを始め、もう一人は相変わらず実家にいるという地理的な制限が生まれたので、しばらくLINEのやり取りしかしていなかったのだが、何度かの「今夜空いてる?」「今日は無理」の末に(仕事が忙しい人は金曜と土曜の夜にすべての予定を入れてしまうので、当日土壇場でというのはもう無理らしい)、もう我々は予定をあらかじめ立てないと会えないという認識を養い、今日に至った。

話はわりあい盛り上がって、実家に暮らしている人に一人暮らしの決心を固めさせたりして、彼らの家は近くはないので泊まるかどうか迷うなとか言われたが、ちょっと疲れたから無理と言って終電で帰した。悪いことをした。


  1. くほんぶつと読む。東京近辺に住んでいなければ知らないと思うが、私は関西に住んでいないが喜連瓜破や放出を知っているので、難読駅名という点では知られているかもしれない。
  2. 桜木町駅の裏手あたりを指す地名。飲み屋街として知られる。
  3. 煮干しが特徴のラーメン屋。ゴールデン街に本店があるが狭くて混んでいそうなので歌舞伎町の店舗を選択。たしか他にもいくつかあるはず。
  4. 東京郊外の地名。くにたちと読む。一橋大学がある。