2022年1月22日 日曜日

ここ数日服用しているメラトニンのおかげなのか朝6時ごろにすっきりと目覚める。もう少し遅く起きられたらよいと思う。朝ご飯をどこかに食べに行こうかと思ったが、ブログを書いていたら面倒になったのでコンビニへ行き、おでんとおにぎりを買う。おでんはしみじみとうまい。おにぎりをおでんの汁に投入して箸で崩して茶漬けのようにして食う。行儀など知ったことではない。

昼過ぎ、地下鉄に乗る。朝からFPMのBeautiful Daysという曲が頭から離れなかったのでそれを聞きながら乗っていたのだが、その曲について調べているうちに、女性ボーカルがEGO-WRAPPIN’の中納良恵であることを知って、そりゃ好きなわけだわと思う。そう思って聞くとそうとしか聞こえない。

浅草で友人と待ち合わせ。浅草なんて年に一、二回くらいしか用のない土地だったのになぜか今年に入ってからもう三回目である。天気がよく、人が大変多い。友人と片手間で運営しているウェブメディアの記事のため、浅草寺とウインズに行く。ウインズは相変わらず治安が悪い。競馬に関心を持ったとして初手でウインズに行くのはおすすめできない。是非とも競馬場に行くべきだろう。ウインズの近くの喫茶店(当然、煙草が吸える)で、競馬中継を見ながら話をする。私はなんとなくその気になれず賭けなかった。

浅草はアーケードの商店街がいくつもあり、人と人の距離が近く、大阪のようだなといつも思う。私は東京出身だが、東京より大阪の方が都市として成熟していると認識している。都市にはいろいろの人が集まり、当然トラブルが起きやすいが、そこをできるだけ他人と関わらない方向で対処しているのが東京で、積極的に敵意のないことをアピールして対処しているのが大阪だと思う。後者の方がより洗練された態度だと思うがどうか。

東京が都市として発展したのはここ四百年程度のことだし、新宿や渋谷といった副都心はさらに歴史がなく、せいぜい明治に入ってからのことだろう。浅草は東京の街としては古い街なので、大阪的な空気がいくらかあるのかもしれない。夕方、解散して一度帰宅する。行きは浅草駅まで地下鉄に乗ったのだが、帰りは蔵前まで歩いて大江戸線に乗る。

朝、武蔵野美術大学の市ヶ谷キャンパスの卒展のツイートが回ってきて、調べてみると今日が最終日で最後の入場枠だけ空いていたので、予約しておいた。夜七時の入場枠で、展示自体は八時までなので、そんなに作品は見られない。キャンパスはビルをリノベーションしたもので、いつも外から眺めていたのだが、その中を見てみたいというのと、あと高校の後輩がひとり市ヶ谷キャンパスに通っていて、今年卒業するというので予約した。

いつかの日記にも書いたが、家から市ヶ谷までは歩くにはすこし遠いがバスで一本であり、自転車でも十分くらいである。帰宅するとちょっと疲れていたがせっかくなので行くことにした。

武蔵美も、昨日行った多摩美と同様、メインのキャンパスは市ヶ谷ではなく、鷹の台という国分寺近辺の街にある。そちらには何度か行ったことがある。市ヶ谷には、造形構想学部クリエイティブイノベーション学科という長ったらしい名前の、新設された学科(とそれに対応する大学院)が置かれている。

ビルのなかに入って受付をする。オフィスビルのように入場ゲートがあって、大学でこれはちょっとなあと思う。大学は誰でもいつでも好きに入れるべきだと信じている。キャンパスといってもビルが一棟あるだけなので仕方ないのかもしれないが。作品はいくつか面白いものもあったが、昨日にもまして早足でざっと見ただけなのでここには書かない。

この学科は卒業制作ではなく論文を提出して出ることも可能なようで、後輩は論文を出しているという。論文の場合は、ポスターセッションのような感じで展示されていて、論文の現物も置いてあるのだが、ポスターだけ読んだ。なかなか面白かった。方言が失われていくなかで何に地域性が残っているのか、というところで校歌に着目して、校歌に歌われているものを調べる——といった内容だった。以前、「この街に育つ子供がみな歌うどこにも見えやしない武蔵野」という短歌をつくったのを思い出した。ほかの作品も含めてあらかた見終わったところでたまたまその後輩に遭遇したので簡単に挨拶して帰った。