2023-08-01 Tue.

うまく眠れずうとうとしていたところを雷に起こされ、その30分後には自分が結構な、他人に迷惑をかける種類のミスをしたことに気づく。もううんざりして全然仕事なんかしなかった。8月はどうしようもない形で幕を開けた。

鬱屈としていたので夜、友人を誘ってダーツからのサウナでもやってやろうかと思ったが向こうの仕事が終わるのが遅く、もういいかと思ってやめてしまった。それで家でだらだらしていると父親から電話がかかってきて祖母がもう本当にぼけてきているとのこと。

直近にも記したように思うが、私の実家は自営業でいくばくかの資産があり、その経理やら事務やらを一手に担っていた祖母が、1年くらい前にはまだばりばりとこなしていたその人が、もう、同じ取引先に7回振り込んでしまうくらいおかしくなってしまった。振り込まないといけないという意識だけがあって、すでに振り込んだことは忘れてしまうらしい。

祖父は現役だが現場を主に見ていて、また元から結構狂った人でもあり、父親はその辺りに詳しくないし書類仕事が苦手で、母親はもっとそうである。

そういった経緯があり、電話口で、月曜に顧問税理士との話し合いがあるから、俺じゃわからないから頼むからなんとか来てくれないかと言われる。別に私が税務やらに詳しいわけじゃないんだが、勉強とコンピュータができるというので頼りにされているのだと思う。要は込み入った話を理解し、作業するための要員である。

血のつながらない父方の事業や資産などというのは、もちろんその恩恵をありがたく受けつつも私にはどこか他人事のようなものだったのだが、にわかにその現実的な手続きに巻き込まれつつある。しかし誰かが状況を把握して立て直さなければ実家の事業も資産も多分めちゃくちゃになってしまうわけで、それは直近では私の家族やほかの社員や取引先が困るし、私はとりあえず自活しているものの、最終的には自分自身にとっても不利益ではあろう。私だってめちゃくちゃで、いま正規雇用で働いていることが奇跡のようなもので、どうしようもない。なので、それありきで生きているわけではないにせよ、いざとなれば実家にいくらかの資産はある、というのを拠り所にしている部分もあるのだから。

そういうことを考えて、職場は有休をとり、月曜の話し合いに行くことにする。その経験もいずれ仕事の役に立つだろうな、とか考えている自分に気づく(なにせ私は実用書の編集者だから)。そんなのっておかしい。おかしいよ。祖母のことをさして心配できない自分に気づく。感謝はある。あんな立派な人はまれだ。しかし明晰だった人がこうなってしまったとき、私は何を思えばいいのかよくわからない。彼女のなかでは彼女はまだ明晰なままなのだ。いつかの日記で、彼女が胸が痛むので、父親に病院に一緒に行ってくれないかと頼んだことを書いた。しかし血液検査の結果は正常で、父親の所感としては、「誰か私に構って」ということだったのではないかとのこと。そんな人に何を言えばいいのか。血が繋がっていないから心配できないのか。そうは思いたくないのに。自分の母親がそうなった父親は何を思うのだろう。それでも、祖母の病により持ち上がってしまった懸案の方に意識が向いてしまう。それも自分の利益のために。これは私の冷酷さゆえなのか。

そのあと、昔のバイト先の社長と村上春樹が勧めていた『アメリカン・サイコ』を見た(春樹が勧めていたのは小説の方だが)。佳作。くさくさした今の気分にちょうどよかった。エンディングのあの感じも良いです。明日も仕事なのにもう午前2時半。うまく眠れるのか。さすがに明日は仕事せねばまずいというのに。しかし実際、そんなバランスを俺はなんのためにとっているのだろうか。いろいろなことが同時に起こって、もう頭がおかしくなりそうなんだよ!

ずっと自分が自分の人生を生きているという実感がない。どこか映画を見ているような気持ちで人生を捉えているのだが、それでも苦悩はある。苦悩として描かれているだけだとしても。そのようなものを与えてくる現実とはなんなのか。まずこれはどのような状況なのか。やっぱり映画みたいな話じゃないか? なんだか実感がないよ。でも映画じゃなくて現実なんだよなこれ。これが一回限りの生なんだよ。もうわけがわからない。彼女とも別れるしさ。なんなの。なんなんだよ! 何がどうなっているんだよ。25歳ってこんなにいろいろなことが一気にガラッと変わっていく年齢なの?

6月は悪いことが重なり、7月は忙しくも楽しかったのだが、8月はこの調子では、なんだか大変なことになりそうな気がする。立ち直りが早いのが私の美質ではあるのだけど。