2023–07-22 Sat.

首尾よく朝八時くらいに目覚めた。起きると、ある人から思わせぶりなメッセージが来ていて(夢に出てきてくれてありがとう、みたいな)、そんな思わせぶりなことを言うだけ言って別にどうということもないのだから、そんなことはやめてくれと気持ちの赴くままに長文のメッセージを送りつけた。

というのも、昨晩夜更けに、以前私が思わせぶりなことをした人から久しぶりにメッセージが来て、話したい、会いたいと言うので、会う分には構わないが会っても特にいいことないと思いますよ、僕はそんな大した人間じゃないですよ、と返したところに、朝、今度は立場が交替したような形でそれが再現されたので、滑稽なような恥ずかしいような気持ちがないまぜになって襲ってきて、そのような行為に及んだわけである。

いつまで思わせぶりなことを言ったり言われたりする人生なのだろう。同世代には結婚し子を生み育てている人間もいるというのに、と思うが、でも穂村弘は三十代後半にもなって「恋ができなくなった」とかエッセイに書いていたな、だけど彼は短歌が上手く、私には特に何もない。

マッチングアプリをしていると時折、出会ったばかりの人とセックスすることがあるが、そのたびに、この人の周りにもこの人に恋焦がれている人がいるんじゃないかと思う。そんなところへぽっと出の私がやるだけやって去っていくわけである。互いの合意の上だからそれでいいのだし、別にセックスがすべてではないが、この人のことが好きでもなんでもない私がそれをしているのに、思いを募らせている人が簡単にそれをできなかったりする。もちろんその思いを募らせている方の人間が私になることもある。

朝からそんなことを考えながら東京郊外の実家へ向かう電車に乗る。京王線で新宿から三十分くらいの街である。父親が特急の止まる駅まで迎えに来てくれるというのでロータリーで待つ。牧歌的な街だな、と思う。会社に勤めるようになってから以前より若干身なりに気を遣うようになったのだが、それは部外者と打ち合わせをすることの多い仕事だからとか、あるいは多少懐に余裕が出たからだと思っていた。だけどそれだけではなく、こんな中産階級の家族ばかりが住んでいる呑気な街でおしゃれなんかしても仕方ないという感じが若干あったんじゃないかと気づいた。とは言っても、このあたりに生まれ育ったおしゃれな友人もたくさんいるわけだが。

車中、父親との会話は弾まない。この前高校に入学したばかりの弟が学校をやめるという話を聞いた。詳しいことは知らないが、さまざまな問題を引き起こし、教師からは、退学になるよりは自主的に学校をやめるという形をとった方が良いと思います、と言われるような状況であるらしい。やるなあ、と思う。通信制の学校に編入を考えているが、そこで必要なパソコンだかタブレットだかがあるので今度それを見繕うのに同行してほしいとのことだった。

でも私も大学をやめているし、母親も高校中退だし、私の家では今のところ学校は出る方がまれという感じである。しかも親は私が大学をやめていることを知らず、卒業して就職したものだと思っているのだし、高校も温情で卒業させてもらったようなものだから、弟に対して何か偉そうなことを言えた立場ではまったくない。問題というのがせいぜい飲酒や喫煙や深夜徘徊やサボタージュ程度で済んでいるといいのだが。

そんな話をしていると父親に電話がかかってきて、父方の祖母からのものだった。胸が痛いので病院に行こうと思う、一人で行くより一緒に行った方がいいと思うのでそうしてくれないか、との頼みだった。祖母はその時代にお茶の水女子大学を出た優秀な人なのだが、最近はどうも少しぼけてきているらしく、体も調子が良くないのだろう。私の実家は自営業だが、その実務は祖父と祖母が一手に担っているので、どうなることやら、という感じで、祖母の仕事を代替するために父親がコンピュータを勉強していて、今日私が呼び出されたのもそのマシンを事務所で使えるように設定するためである。

事務所でその設定のほか、祖父の手書きの請求書や見積書をExcelで作り直すような仕事をする。途中抜けて、母方の祖母とお昼を食べに行く。父方の祖父母も母方の祖母も、そして私の両親や弟妹も、すべて歩いて五分くらいのところに住んでいる。私は小さい頃母方の祖母に育てられていたが、実家を離れた今ではあとどれくらい会えたものか判ったものではないので、戻る機会があればできるだけついでに会うようにしている。

実家にいた頃週に二回くらい行っていたラーメン屋に行く。時々この味が恋しくなるが、環七だか環八だかの外側にしかないような、郊外型のロードサイドのラーメン屋なので、なかなか行く機会がない。私はラーメンとチャーハンを、祖母は冷麺と唐揚げを頼んでいた。歳のわりに健啖家である。こちらの祖母もまだ働いているので、職場の話などを聞く。分譲マンションの清掃の仕事をしているのだが、管理人として赴任してきた元自衛官の人が、「私は上の指示がないと何もできませんので」という態度を崩さず困っている、という話がちょっと面白かった。自衛隊ではそれがいいのだろうが……。尋ねられたので、彼女とは別れそうだ、というか別れた、と言ったら、いいのよいいのよ、それもまた人生の経験だから、といかにもおばさんみたいなことを言う。

また事務所に戻って作業を終わらせる。このあと西国分寺に用があるという話をしていたら、祖父が車で送ってくれるというのでそうしてもらう。出るとき、病院から戻ったらしい父方の祖母が現れた。顔色は悪いが、声は元気そうで少し安心。喋ることもはっきりしている。ただ周りの者によると物忘れが多いらしい。私に手伝ってくれてありがとうと言い、私はお大事にして下さい、と返した。父方の、血の繋がっていない祖父母に対して、いつまでも敬語を崩すことができない。祖父にどうなんですか、と聞いたら、とりあえず火曜に血液検査の結果が出るのを待つしかない、とのこと。

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西国分寺には都立多摩図書館があり、雑誌を豊富に所蔵している。雑誌のデザインを見比べる必要があったのでここに赴いた。小一時間ほど滞在し、いくつかの雑誌を複写する。それから中央線に一駅乗って国分寺で降り、ジョルジュ・サンクでお茶をする。私が行ったことのある東京の喫茶店は、百はくだらないと思うが、なかでも五指に入る名店である。いつもワンオペのマスターはお元気そうで安心。ここが閉まったら泣いてしまうかもしれない。そしてこれを書いている。注文が出てくるまで時間がかかるので、時間に余裕のあるときに行ってください。味は折り紙つきです。オーレグラッセとアールグレイグラッセがおすすめです。私はお代わりして両方頼んだ。二杯目からは安くなります。

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ひととおり書いたあと、二階堂奥歯『八本脚の蝶』を読み返す。彼女は1977年の4月生まれで、26歳になる直前に自殺している。私は1998年の4月に生まれ、25歳なので、彼女が私と同じ歳だった頃に書かれたものとしてこの日記を読むことができる。その読み方ができるのは今しかない。

店を出て、紀伊國屋書店に寄る。ここの紀伊國屋は規模のわりに短歌のコーナーがえらく充実していて、私がここによく来ていた頃はそこまでではなかった気がするんだけど。話題書の棚なんてダイヤモンド社の新刊と穂村弘のサイン本が並んでいて、えらい取り合わせである。結局何も買わなかった。電車に乗って帰宅。