2023-08-07 Mon.

今月に入ってから、やるべきこととやらねばならぬこととやったほうが良いことがつねに脳の一隅を占めていて、それで余裕がなかったのだが、そのうちのいくつかはこなし、いくつかは優先順位を下げてやり過ごしているうちに、会社が今日から夏季休暇に入って小康を得たので、いくらか思い出しながら書く。


会社を休みふたたび実家へと戻った。眠れなかったのでいっそ起き続けることにして、朝早くに家を出て、京王線の下り列車に乗った。途中で久しぶりにコンサータを飲んだ。向精神薬の名前は、若干人を馬鹿にしているように思う。エビリファイやマイスリーはその顕著な例だ。コンサータはそれらに比べるとその意味するところが明確ではないが、concertare(イタリア語で「協調する」、コンチェルトやコンサートの語源)とか、あるいはconcentrateか、そのあたりの言葉のイメージを持たせようと努めた命名なのだろう。

税理士との約束にはまだ早かったので、事務所ではなく自宅の方へ行く。最寄り駅に降りたとき、空気が澄んでいると思ってそれに驚く。決して山のなかにあるとかではなく、いま住んでいる新宿から電車で小一時間ほどの、典型的な郊外の住宅地に過ぎないのだが、やはり新宿区の、一般的な給料の賃労働者が単身で暮らせるようなエリアとは違うものらしい。

父は既に起きていて、鍵は開いていた。犬が二匹いて、ひたすら吠えられる。少なくとも一匹については私は数年間一緒に暮らしていたのだが。もう一匹は、私が実家を出たあとにやってきて、一度だけ子犬だった頃に見たことがあり、まったく人見知りせずに私に近づいては顔を舐めるなど、愛玩動物らしい愛想の良さを見せていたが、今では成犬となり、先達と同じように愛想の悪い犬となったらしい。

居間にいようとしたのだが、犬が吠え続けるので仕方なくかつて私の部屋だった部屋に向かう。ここは妹の部屋になっていて、母と妹は韓国へ旅行しているため、私がそこで寝泊まりしてもよいことになっていた。結局、日曜の晩ではなく月曜の朝に向かったので実家に泊まることはなかったのだが。そこはかつてとはまったく異なる様式の部屋と化しており、私がかつて戯れに買ってほとんど遊ぶことのなかった安物のダーツボードだけが壁にかけられてその痕跡を残していた。

やがて税理士との約束の時間が来て、歩いて事務所へ。私が着いてしばらくすると、祖母が当然のようにやってきて彼女の机で仕事をし始めたので驚く。祖母はもう仕事をしてもそれが正常にこなせるような状況ではないはずなのに、それを判っているのかどうなのか、とにかくパソコンに向かって何かしている。何十年もそうし続けたので、それ以外にすることがないのかもしれない。

税理士はメールの字面から男性かと思っていたのだが、実際は女性だった。祖母が担っていた業務の状況はどうなっていて、そして今後何をすべきなのかという話をしてもらう。祖母が席を外したタイミングで重要なことを小声で話す。会社はいくつかの銀行に口座を持っていて、通帳は父が回収したのだがカードがない。父が何度か「カードを探してよ」と言うのだが祖母はそれを忘れてしまう。そもそも本人もカードがどこにあるか、おそらく隠したのだが、それをどこに隠したか覚えていないらしい。そして通帳を取り返そうとする。「これは私のものなのに」と繰り返す祖母はかなりいたたまれない。カードを隠すのも通帳を取り返すのもつまりは、私の仕事を奪わないでほしいということなのだが、父は「この会社潰れちゃうよ」と言ってそれを拒む。

税理士と午前中いっぱい話してから、書類の山に埋もれながら、父親とまず何をすべきか話す。税理士に任せられるような仕事はとりあえず後でやることとして、まずは祖母が金銭を扱えないようにしなければならないだろう。あらゆる通帳やカードを再発行せねばならない。また会社の方ではファックスでいくつかの口座に同時に振り込みができるサービスを利用しているのだが、祖母にそれを任せていると振り込み忘れたり多重に振り込んだりしてしまうので、それもすぐに止めなければならない、そんなことを話す。

ある限りの通帳や銀行印(これもどこの銀行印なのかわからないものがたくさんある)を持って祖父と父と私とで銀行へ行く。自営業者の父子三代が郊外の街を軽自動車で走って銀行に向かう道中は、とにかく『シンセミア』みたいな感じがする。血縁にまつわる混乱がある。銀行の掛員は私たちを何者だと思うのだろうか。

銀行では登記簿謄本がないと何もできないことがわかり、通帳と銀行印があれば窓口でお金を下ろせるので当座の現金を下ろそうとしたが、散々待たされて持ってきたすべての印鑑がこの銀行に届けたものではないことがわかる。徒労である。カードだけは止められたのでそうしてもらう。こんな法人があるのだろうか(たぶん思いのほかあると思う)。我々が祖母が隠したのではないかと思っているが、単にどこかに置き忘れてきた可能性も十分ある。再び気詰まりな車内に戻り、今度は法務局へ向かって謄本をとる。祖父は「あんなにぼけているとはなあ」とこぼし、私は「病院に連れて行って診断を受けて、場合によっては後見を使った方がいいんじゃないか」と提案する。祖父は「そんな急に私を病人扱いしないでよと言うだろうな」と言っていた。

事務所に戻ると(何も進展したわけではないのに、だからこそ)疲れ果てていて、そもそももう夕方になっている。ファックス振り込みの方は、さしあたりそれに必要な暗証番号を変えてしまおうということで、銀行のコールセンターに電話して手順を聞く。電話口の女性が「手前どもが」と言うので、今時本当にそんな言い回しを現実に使う人がいるのかとちょっと嬉しくなる。村上春樹の小説で「ドルフィン・ホテル」の掛員が使っていたほか見たことがない。

父親が書類を整理しながら「逃げたい」とこぼした。父は粗暴な人間だが仕事に対しては真面目で、そうした泣き言を口にすることがなかったので驚く。たぶん、愚痴をこぼせる程度に私が大人になったということなのだろう。私もだいぶ気が滅入っているのだが、こうした事務作業に対しては私の方がまだ忍耐があり、逆に父親の普段やっている肉体労働は迷う余地もなく逃げてしまうだろうから、人間には向き不向きがあるらしい。もちろん、立場の違いもあるとは思う。

今日これ以上できることはないので、帰ることにした。せっかくこちらの方へ来たのでいくつか行きつけだった店などに顔を出していこうと思っていたが、前回もそうしたし、また今後は何度も足を運ぶことになりそうだし、そもそも寝ていなくて何もする気力がないのでまっすぐ家へ帰る。コンサータには食欲減退の副作用があり、朝から何も食べていなかったので、相変わらず食欲はないのだが新宿で蕎麦だけ啜った。少なくとも天ぷらは美味しかったと思うが、それさえもどうでもよかった。