2023年1月26日 木曜日

九時前に起きる。八時から五分おきにアラームをセットしていたのに鳴動していなくて焦る。iPhoneってたまに画面だけアラームになっているけど音が鳴らないときありませんか? iPhone以外でも目覚ましかけていますが……。

今日は出社奨励日だが、ちょっとまだ行けないと思ったので家で始業して、お昼前の部署の会議に合わせて出社する。そうすると一気に時間の余裕ができたので、起きたときはタクシーで向かってやろうかと思ったが歩いて行く。職場まで歩ける距離に住むことは、一度してしまうともうそれ以外は耐えられない気がする。

通勤途中、なぜか片方だけジーンズの裾をたくし上げた男が路傍に立っていた。思わず見やると目が合って、案外正気の目をしていた。そしてそのとき視界にうつる街のすべての正気さを思った。その男の傍らを、人間が運転している車は何事もなく通り過ぎる。一体どちらが正気なのだろう。

会議を終えて雑多な仕事を済ませて(経費精算とか)、耐えられなくなってきたので昼休みを取る。昼休みは好きなタイミングで取れる。外へ出て歩いていると、水道管から漏れた水が凍り付いてつららのようになっていた。そんな景色を東京で見ることがあるとは。カメラを持ってこなかったことを後悔した。鞄には入っているのだが、オフィスから抜け出すときにカメラを持って出るのがなんとなくためらわれて持たなかった。

ファミリーマートでチキンとおにぎりを買ってそのまま店の前で食べて、喫茶店へ。腹は減ったが、それはそれとして一刻も早く煙草の吸える喫茶店で読書がしたいという欲求の結果。財布からスタンプカードを取り出すと、今日でちょうど二十個たまるようだった。出社すると昼休みは九割方この店に来ている。個人経営のドトールみたいな店で、安い。そのうえスタンプがたまると一杯無料になる。

オレンジジュースを頼んで『八本脚の蝶』を読む。仕事の昼休みに読むべきではない部類の本だと思う。何度も読んだ本なので斜め読みしつつ、考え事をしていた。二階堂奥歯の日記では社会的なことがほとんど排除されている印象がある。それに比べると私は何時に起きたとか天気がよかったとか仕事が暇だったとかそんなことばかり考えている。彼女にはそれよりほかに考えることがたくさんあったのだろう。私はなんだかんだで社会にかかずらってばかりいる。自分の凡庸さを思う。

ほどほどに働き、暮らしてはゆける賃金を得て、昼休みに本を読んでなんとかやりすごそうとしている。ときに欲に溺れ、ときに道を踏み外し、それでも踏み外しすぎずにかろうじてバランスを取っている(何のために?)。人は生まれたときにはみな正気ではない。欲求によって立ち、どこでも泣きわめく。社会性とは訓練された凡庸さの別名だろう。彼女の文章を読んでいると、自分は飼い慣らされた、それでいて有利な、男であるということを意識せずにはいられない。

男権中心主義ファロセントリズムならねど身にひとつ聳ゆるものをわれは愛しむ (黒瀬珂瀾)

そんな、どこまでも月並みなことを考えていると一時間経ちそうだったので、訓練の賜物でオフィスに戻る。それからはわりと熱心に仕事をする。すでにある仕事を進めつつ、今日頼まれたスケジュールに余裕のない仕事を九割方終わらせ、同僚の技術的なトラブルを昔取った杵柄で解決し、仕事をしているうちに判明した上長に報告すべき課題を報告し、と八面六臂の活躍を見せていると定時になり、もう気力がないので帰った。

それなりに疲れたのでタクシー乗って帰るか迷いつつビルを出たら目の前にいたので思わず止める。タクシーに乗ったとしても、実家から会社に通っていた場合の往復の電車賃より安いとかいう謎の正当化をする。しかし終電を逃したわけでもないのに乗るタクシーは経費精算できないが、電車賃はもちろん精算できるし、家賃や光熱費のことを考えると尚更その計算は間違っている。

帰宅して、昼間家を出る直前に届いていた『写真』の一号を少し読む。これはやはり、かなりいい。版元の在庫は今見たら残り一点になっていた。買えてよかったと思う。それからご飯を食べ、風呂に入り、資源ごみを忘れずに出し、なんなら段ボールまでまとめて捨てて、洗い物は放置しているが、わりとよくやったと思いながらこれを書いている。