成人の日である。三連休の最終日。天気も良いので、三時間ほど散歩でもしたいと地図を眺めていたら一時間ほど経った。どこでもいいから散歩しに行けばそれなりのものはあるのに、労働者として翌日の勤務を控えるなか、できるだけ短い時間で良いものを得たい、明日の仕事に差し支えない程度の距離が望ましい、などと条件をつけてしまう。地図を見ているうちに日が暮れてしまうので、Googleマップから目を離して『みんくるガイド』を手に取る。都バスの路線図である。すると、「吉祥寺」というバス停が目に入った。
都バスは23区と、青梅の方しか走っていないので、武蔵野市である吉祥寺は都バスのエリア外である。バス停は、本駒込の辺りだった。そういえば、吉祥寺には吉祥寺という寺はなく、別の場所の寺に由来する地名であるという話を聞いたことがあった。それが本駒込なのだろうか。
(一)東京都文京区本駒込にある曹洞宗の寺。山号は諏訪山。長祿年間(一四五七−六〇)太田道灌が青厳周陽を開山に江戸城の和田倉門内に創建。天正一八年(一五九〇)徳川家康が江戸城造営の際神田台(水道橋北側)に移し、明暦三年(一六五七)の大火ののち現在地に移転。文祿四年(一五九五)曹洞禅の修学のために旃檀林を創始した。
(二)東京都武蔵野市の東部、中央線吉祥寺駅を中心とする一帯の地名。明暦の大火後、吉祥寺門前町の住民がこの地に転居したところから、その名がある。現在は住宅地として発展し、JR中央本線、京王井の頭線が通じる駅前は、商業集積がいちじるしい。
『精選版 日本国語大辞典』を引くとそのようだった。私は二十数年間を多摩地区で過ごしてきたので、(二)の吉祥寺には非常に馴染みがあるが、(一)の吉祥寺には行ったことがない。いま住んでいる新宿の外れから駒込はそう遠くない。ここはひとつ、本物の吉祥寺を見てやろうと大江戸線に乗った。
春日駅で降りる。大江戸線の車体は小さく、乗るたびに村上龍の『五分後の世界』に出てきた鉄道を思い出す。ここで南北線の後楽園駅に乗り換えるが、その前に少し寄り道をして文京シビックセンターに行く。
文京シビックセンターは、文京区役所やそのほかもろもろの公的機関が入居している、28階建てのビルである。下層部には大ホールがあり、高層部には展望ラウンジもある。1999年の竣工らしいが、いかにも一昔前の(金のかかった)公共建築といった雰囲気が好ましい。臨海副都心のあたりでもこのような建築をいくつか見ることができる。
展望ラウンジはあいにく改修工事でやっておらず、そのまま後楽園駅へ。地下鉄に乗っているあいだ、シビックセンターにはホールがあるので、文京区の新成人が大挙していたらどうしようと思っていたが、23区の成人式は立派なホテルでやるところもあるとTwitterで知った。私がいま住んでいる新宿区は京王プラザでやるらしい。文京区も椿山荘とかかもしれないな、と思いながら調べていたら「文京スポーツセンター」なる施設でやるらしい。慎ましい。
南北線で二駅、本駒込駅が本物の吉祥寺の最寄り駅である。後楽園駅との間に東大前駅がある。「〜大前」といえば明大前であるエリアで育ったが、私は幼い頃から明大前に親しんでいたので、長じるまでそれが「明治大学前」を意味することに気づかなかった。ほかに思いつくのは専大前の交差点であるが、駅ではない。そういえば関大前という駅が大阪にあったはずだが、などと考えているうちに本駒込につく。
駅を降りると、このような風景である。本郷通りという都道がのびていて、吉祥寺まではこの道を一直線に行く。
このように散策を楽しんでいるとものの数分で着く。なかなか立派なお寺であることがわかる。
門から見える境内も魅力的で、門前町に住んでいた住民が、寺が移ったわけでもないのにそれを偲んで新天地にその名をつけただけのことはある。
仏像の近くには、いくつかの碑が並んでいる。
ひときわ大きいのが以下の、にぶい赤色のもので、花卉業者らが集まって花を祀って建てたものであるらしい。
花の碑と地蔵のあいだには、「比翼塚」なるものがある。
ちょうど同じくこれを眺めていた、年老いた女性らの会話によれば「『なんとかのお七』のアレよ」ということだったが、やがて八百屋お七であることを思い出したらしい。
八百屋お七は、「お七」が火事で焼け出されて寺に避難した際に出会った人に惚れ、再び火事になれば会えるだろうと自宅に放火したという、サイコパス診断のような話だが、いろいろなバージョンがあるなかでもっとも有名な井原西鶴のものでは、その避難した寺が吉祥寺であるとされているらしい。
女性らはその後、「比翼」とはなんだろうかとスマホで調べていたが、私は『STEINS;GATE 比翼恋理のだーりん』のおかげで比翼の意味を知っていた。アニメを見たこともゲームをプレイしたこともないのだが。
さらに歩みを進めると、鐘や「経蔵」がそびえている。
そしてその周囲には、ふたたび石碑が並ぶ。
寺を立ち去ると、「吉祥寺前」という標識が目につく。バス停もあり、私が『みんくるガイド』で発見したのはこの停留所であったらしい。ここが立派な吉祥寺である証拠である。
吉祥寺(武蔵野市)といえば、「住みたい街ランキング」で例年上位であり、そのブランド力ゆえに吉祥寺駅からバスで行くような土地であっても、マンションなどに「吉祥寺」と名付けられることで有名だが、このあたりのマンションはどうなっているかと見ていると、「本駒込」としているものがほとんどだった。
そのまま、本郷通りを駒込駅方面に向けて歩いていく。
この「総合美術看板」がある交差点を曲がると、東洋文庫がある。すぐ近くのようだし少し覗くかと思って向かうと、途中に古本屋があり、店先の棚を見るとちくま文庫の『宮沢賢治全集』(1・2)が100円。『春と修羅』はこれらに入っているものですべてのようだし、迷わず買おうと店内に入ると古本屋らしからぬ大変見やすい陳列で、置いてある本もちょうどよく興味が沸くもの。実際、一部新刊書籍も置いてあるようだった。
おっ、ロクサーヌ・ゲイの『バッド・フェミニスト』じゃないか。読もうと思ったまま読んでいないな、いくらだろう、五〇〇円ということは定価の四分の一だから実質タダみたいなものだ、こっちには雪舟えまの『たんぽるぽる』がある、これもいずれ買うことになるのだから古本で手に入れた方がお得だ、などとやっていると五冊で二千円弱になった。散歩の道中に古本屋に出会ってしまうと、荷物が増えるので望ましくない。
そんなわけで、東洋文庫は結局覗かずに、正面まで行って、立派だなあと思っただけなのだが、振袖を着た人がまさに建物に入っていくところで、成人式から東洋文庫をはしごしているんだとしたら良すぎるな、と思って来た道を戻った。
本郷通りをさらに駒込駅方面に行く。東洋文庫のある次の角を曲がると今度は六義園があり、見所満載なのだが、荷物が多いのでこちらもやはり入らないことに決める。六義園はたしか三菱の創業者である岩崎家と関係があったように思うが、具体的なことは忘れた。
フレーベル館といえばアンパンマンだが、収益の何割がアンパンマン関連なのだろうと下世話なことを思う。宮沢りえの『Santa Fe』を出した版元は、『Santa Fe』が売れすぎて社屋を増築したので、社内では「サンタフェ以前」「サンタフェ以後」と呼び分けられている——というような話をどこかで目にしたことがある。社内で呼び分けているのは噓で、その文章での呼び方だったかもしれないが、それは忘れた。
六義園は有料なのだが、正門を抜けてさらに進むと「文京区立六義公園」があり、こちらは誰でも入れる。
本郷通りに戻り、さらに駒込方面を歩く。
駒込駅は橋上駅舎というのか、とにかく跨線橋があって、その上に慎ましい駅舎がある。跨線橋からは山手線やその他の電車(湘南新宿ラインか、埼京線か、よくわからない)が通るのを眺められるが、駒込駅に用はなく、このまま線路に沿って巣鴨に向かうこととする。巣鴨は隣の駅であり、十数分程度で着くはずである。
そのうちに巣鴨の地名が見えてくるのだが、ずいぶんかっこいい書体でお目見えとなった。
というか、建物自体の造作がかっこよく、表に回ると西友であった。
この西友から巣鴨駅前はすぐである。以前巣鴨に来たのは、子供の頃祖母に連れられてのことだったので、おそらく十数年も昔であろう。
巣鴨といえばとげ抜き地蔵と商店街であり、マスメディアでは「おばあちゃんの原宿」などと称されることもあるが、そこまでお年寄りは多くなかった。原宿が若者の街になったのはここ半世紀ほどの話であり、この表現もそれより以前には遡らないことがわかる。
塩大福が当地の名物のようで、いくつかの店がありいずれも列をなしていたが、並んでまで食べるのはよそ者だけという、吉祥寺(武蔵野市)の「サトウのメンチカツ」方式なのではないかと思い、お腹が空いていたが食べなかった。こういう余計な考えを持っていて幸せになったことはないと思う。そもそも私はよそ者なので、食べてもよかったはずだ。
こちらがとげ抜き地蔵である。せっかくなので簡単にお参りすることとした。本堂で見ていると二礼二拍一礼で祈っている人が多いが、ここは寺なので神社のようにしなくてもよいのではないかと思う。しなくてもよいというか、しないべきである気がする。そもそも神社でも、二礼二拍一礼は、私が幼い頃には今ほど一般的ではなかったように思う。しかし、好きなようにすればよいのだろう。
とげ抜き地蔵を過ぎても、商店街は庚申塚の方向に続いている。このへんで食事を取ることにする。
中に入ると焼き魚や揚げ物や煮物など、メニューがたくさんあってかなり迷う。そもそも外から焼き魚を食べているのを見て、焼き魚は良いなと思って入ったのだが、どうやら揚げ物、特にエビフライが名物らしい。お茶を出してくれた店員さんは黒板を指しつつ「ロースカツ定食が今日のおすすめです」と言ったが、魚を食べに来たのだ。しかし揚げ物が名物ならそれにしたほうがいいか、ほっけ定食はちょっと良い値段だ、ほっけだから値が張るのはそうかもしれないが、やよい軒とどれほどの差があるものだろう、焼き魚なんて全部うまいのではないか、それに比べたら揚げ物の方が私には味の違いがわかるような気がする——などと、井之頭五郎めいた逡巡をして、結局、鯖の塩焼き定食にあじフライを一尾つけてもらう。
いずれも美味しかったが、隣の客が味噌汁を豚汁に変更してもらっていて、それが実に美味しそうに見えたので、それだけ後悔した。私は五郎と違って小食なので、ご飯をお代わりせずとも十分腹がくちくなった。
腹がくちくなるというのは、お腹がいっぱいになるという意味だが、西村賢太の日記で頻出し、そこで初めて知った表現である。しかし、一目見た瞬間から、たしかにお腹がいっぱいのときは「くちくなる」感じがするなあと感心したが、しかし広く通用している表現ではない気がするので、時折しか使わない。
店を出るとかなり日も暮れていたが歩き続ける。
明石焼きの店があった。私はたこ焼きより明石焼きの方が好きで、関西方面に赴くと必ず食べているのだが、東京ではたこ焼き屋でもあまり見ることのない料理なので興奮した。
やがて庚申塚の交差点に至る。食後で煙草が吸いたいので、このまま西巣鴨方面に歩いて喫茶店に行くこととする。
西巣鴨駅に直結して、メトロエステートというマンションがあり、その低層部にテナントがいくつか入っている。そこに煙草が吸える喫茶店があるというのを調べてやってきた。
中に入ると、マンションの一角とは思えないほど優美な内装で、思わずマスターに写真撮影の許可を得る。
店を出るともうすっかり夜で、新庚申塚から都電に乗り、面影橋で降りてドコモの自転車を借りて帰った。