丸の内のインド人占い師

さっき、丸の内の路上でインド人の「占い師」に話しかけられた。 20代から30代前半くらいだろうか、この暑いなか長袖のシャツにスラックスというきちんとした身なりをした男性である。

“Excuse me?” “Yes?” “You have a lucky face.”

こんな調子で彼は話しかけてきた。“You are a very lucky man.” “I’m from India.”“Three happiness will come next month.”などとまくし立てる。何やら手帳を開いて、そこに挟まっている古びた長髪の男性の肖像画のようなものを見せてきた。多分教祖か何かなのだろう。

怪しいなと思いながらも、そのインド訛りの英語を聞き取るために必死に耳を傾けていると、おもむろに小さな紙片を取り出して、おそらく何かを書き付けて私の手に握らせた。

それから彼は、手帳の新しいページを開いていくつかの質問をし、答えを手帳にメモしていった。

「好きな花は?」「ひまわり」 「名前は」「○○」(当然ながら日本語の名前なので、彼は苦労してそれを聞き取って「これでいいか?」と言いたげに見せてきたが、それは微妙に間違っていた) 「年齢は?」「26」

手帳には、sunflower、私の名前のローマ字、そして26という数字が記されている。

それから彼は自分の目を見るように指示した。「あなたの目から幸運を感じるから、見せてほしい」というようなことを言って。吸い込まれそうな澄んだ瞳だった。

そして、私の真似をしろ、と言うように握り拳に息を吹きかけ、それをおでこの前に持っていって一瞬目を瞑った。私は紙片を握っている手で同じことをした。それから私の手を開き、紙片を開かせると、先ほど手帳に書きつけたように「sunflower」「名前」「26」という文字が記されている。私は驚いた。

驚いている私に、「三つの幸運が来月訪れる」とか「あなたは考えすぎるきらいがある」とか「私はあなたのために祈る」と言いながら、早口の英語で目を瞑って何か祈りのようなものを唱えた。

再び手帳を取り出し、何やら集合写真のようなものを見せ(この辺で私はああお金が目当てか、と思ったわけだが)、私は世界中を旅していて、お金が必要だ、というようなことを言った。集合写真のことも多分何か言っていたのだと思うがうまく聞き取れなかった。

先ほど見せられた手品に私は感心したので、小銭くらいなら払っても良かろうと思って財布を取り出すと、「paper moneyをくれ」と言う。「コインじゃ受け入れられないのか?」と私が聞くと「コインはstabilityがない。それは幸運をもたらすのに必要なものだ」などと訳のわからない屁理屈を言う。仕方がないので千円札を渡そうとしたが、あいにく紙幣が1枚も入っていなかった。

それで、わかった、じゃあ私についてきてほしい、お金を引き出すからと言うと彼はOK、と言って横断歩道の向かいにあるKITTEを指差した。ちょうど信号が点滅していたので私と男は走った。KITTEの前を少し歩き、郵便局を見つけると「ここでお金が引き出せるか?」と聞いてきたので、多分ね、と答えたら「あなたは私にいくらpaper moneyを払ってくれるのか?」と言いながら手帳を開いた。

手帳には「P 30000」「M 60000」「R 90000」と書いてあった。Poor manならこれ、Middleならこれ、Richならこれだ、と男は言う。思わず私は「これはYenか?」と聞き返し、そうだ、私はあなたのために祈ったのだから、と言うので慌てて「いやいや、私はそんなにリッチじゃないんだ。私はあなたのマジックに感銘を受けたから(そこで男はMagicという言葉を聞いて「Meditation」と言い直した)お金をあげるけれど、千円しか払わない、それが限界だ。それでいいか?」とまくしたてると男は渋々同意して、ここで待っているよ、と言った。

私はKITTEに入って郵便局のATMに歩きながら、男はついてきていないのだしこのまま別の出口から抜け出してしまおうかとも思ったが、どのみち現金を下ろす必要はあったのでATMを操作し、そして千円あげることにした。出口に戻ると男はスマホを見ていた。それで千円渡すと、男は何かぶつぶつ言って立ち去ろうとしたので、私は「名前はなんて言うんだ?」と聞くと「スィンだ」と言う。綴りを尋ねると「Singh」と答えた。私は男に挨拶して立ち去った。男は足早に八重洲のほうへと歩いていった。

すぐさまTwitterで「丸の内 インド人」と調べると、詳しい情報がすぐに出てきた。丸の内界隈でたまに出没しているらしい(おそらく)シク教徒のインド人で、丸の内に限らず100年も前から目撃証言があり、世界中の大都市で辻占いをしていて、シク教徒の男性は皆Singhという名前を持っているという。その紙片を使った手品もまったく同じで、あの高野秀行氏も昔100ドルを渡す羽目になったらしい1

私はそれを読みながらなんだかおかしくなった。そんなことをしながら長年生き延びている人々がいるとは。私に目をつけたのは、給料日にApple Storeから出てきたので金を持っていると踏んでのことだろうか。目の付け所は非常にいいけれど千円しかもらえなくて残念に思っただろうか。でも私がある程度の英語を話せる上に、そういうスピリチュアルな話を受け入れる用意のある人間だったからむしろラッキーじゃないか。それにしてもあの手品はなかなか洗練されたものだったし、そういう面白い生き方をしている人間に出会えただけでも、千円を渡す価値があった。脚注に挙げたブログを見る限り、面白がっているだけでは申し訳ない、彼らなりの事情もあるようだけれど。

そんなことを思いながら、これまでに数多ある目撃証言に私のものを加えるため、喫茶店に入ってすぐさまこれを書いている。あの小さな紙片をもらっておけばよかった。