東京郊外の夜を歩く

生活リズムがイカれていて、ひたすらコンテンツを消費するか夜な夜な散歩することしかできない。日記でもあり、日記でもない。夜の散歩の記録を載せる。


家から数十分歩くと中央道の国立府中インターチェンジにたどり着く。都市部ならいざ知らず、郊外のインターチェンジというのは、空虚な場所になる。何もないから高速道路を引けて、そしてインターチェンジを配置する土地の余裕があるのだから。

そして高速道路の出入口が近くにあることが利益となる、たとえば物流倉庫や自動車店、建材屋、そしてラブホテルが立ち並ぶ。国立府中インターの場合は青果市場もある。そして吉野家、24時間営業の中華料理屋、コンビニのような腹を満たし簡単な休息をとるための施設。そのようなエリアを閑静な住宅街にするのは難しいので生産緑地地区と示された田畑が広がる。交通量が多いので道は広いし車通りも多くなりがちだが、人通りは少ない。これは、東京郊外のある側面の象徴だ。俺はこういった場所を夜中に練り歩くのが好きだ。

ラブホテルと田畑、今は使われていない物流倉庫、そしてインターチェンジ。建物はある。立派な道路もある。しかし何もない。ここには文化的なものなど何もない。ただ経済や政治の道理で必要だったから生み出されたものだけだ。思い出したように整備された公園があるがこの時間に使うものはない。昼間はここで子供たちが遊んでいるのだろうか?

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ああ、これが俺が二十年住んだ東京郊外なんだな。これでも東京都内なんて笑わせる。東京に住んでてもこんな東京を知らない奴もいるんだろうな。俺らは都心がなんたるかを知ってる。でも郊外のほとんどは誰にも見向きされない。東京郊外だって、少しは文化的なものもあるさ。良いお店なんて山ほどある。でもここは吉祥寺や立川のように栄えてもいない。国分寺や国立のように街の魅力があるわけじゃない。そして住宅すら立ち並ばないこの場所には虚しさしかない。だだっ広い土地、合理的な建築、それ以上がない。ただ何もないという以上に、そこだけがやけに眩しいラブホテルや、四角四面の物流倉庫には、何もない。生産緑地地区なんて、今はまだ開発の対象としないという目印でしかない。とりあえず田畑になっているだけだ。でもこれが郊外ということなんだ。

人気のない、無骨な中央道の高架下。ここで俺は煙草を吸う。ハイライト。技術者のメモ。無学な俺には全然理解できない。でもこいつらがこの高架を支えてくれているわけだ。ありがたい話。

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思えば大学入ってからの五年間、いやもっと前から、好き勝手深夜に散歩していた。それは最高に自由な時間だった。俺は一人だった。俺が何をしようと咎める者はない。俺は音楽を聴いた。俺は目的もなく歩いた。俺は缶コーヒーを買って煙草を吸った。吸い殻はちゃんと携帯灰皿に入れて持ち帰った。夏は心地良く、冬は寒さに身を震わせながら、とにかく歩いた。

ここにはなにもない。その何もなさが俺の心を安らかにする。ここには人がいない。ここには人の生活がない。生活に伴う有象無象の苦しみがない。誰もいなければ俺が吸う煙草の煙が非難されることもない。ここには俺と、そして機能しかない。機能に応じた土地利用、機能に応じた構造物しかない。そこに人間の顔は見えない。

誰もいないことより誰かいることの方のが怖い深夜の散歩

これは高校のときの短歌で荒削りだけど、この実感はまだ変わらない。誰もいないことは怖くない。誰か他人がいることが怖い。東京でも郊外なら、他人と接触することなく、でもいざとなればすぐに接触できる程度、つながれる程度で、距離感を保てる。

もちろんここで働いている人はいるだろう。でもそれはでかい箱の中で目に見えない。ラブホテルなんて入っても見えない。従業員が目につかないためにどれだけの工夫が凝らされていることか。だからここには人間がいない。目につかない。

これって本当に落ち着くな。都心じゃこんなに独りになれない気がする。東京の港湾部ならなれるけど俺の感覚ではあそこも郊外だ。田舎はあまりにも独りすぎる。ここは空虚な土地だけど、だから心地良い土地でもある。

学生ももう終わりだ。こんなに深夜に何も考えずに散歩できるだろうか? 時間の問題だけじゃない。場合によっては都心へ転居するかもしれない。少なくともここまでの郊外からは離れるかもしれない。そう考えると夜中に散歩するだけのことが限りなく贅沢に感じられる。俺はここから徒歩数十分の家を離れても、こういった場所を他所にでも見つけ出して、そこまで電車まで乗って散歩してしまうかもしれない。独りでいたいとつながっていたいと誰かといたいの狭間で。