ヒッチハイクと人生は同じなのかもしれない

私はかつて、何度かヒッチハイクをした。金のない人間がどこか遠くへ行きたいと思ったとき、夜行バスか18きっぷかヒッチハイクのどれかを使うことになる。いずれもよく使ったが、移動手段としての面白さはヒッチハイクが最も大きい。そのうえ無料である。

大学に入って最初の冬休み、私は関西へ向かった。行きは18きっぷで在来線を乗り継ぎ、帰りはヒッチハイクをした。なぜか覚えていないが、大晦日に東京へ戻ろうとしていた。大晦日というのは、世間では家族連れを乗せた車が大量に帰省なり旅行なりをする時期にあたる。そしてふつうの家族は、どこの馬の骨とも知れない若い男を旅の道連れにしない。まれに奇特な家族もいて、そういう人たちは度を超して親切だったりするのだが、それはそれとして数が少ないのでなかなか乗せてくれる人が見つからない。

私はヒッチハイクでは、ほとんど高速道路しか使わない。どこかのサービスエリアからどこかのサービスエリアまで乗せてもらう。経験的には、大きめのサービスエリアの建物のまえで三十分もスケッチブックを持って立っていれば、だいたい乗せてくれる人が見つかるものなのだが、大晦日はそうもいかず、関西から東京へ戻る道中、夜の浜名湖SAで三時間待った。寒いし疲れると思うのだが、あまり辛かった覚えがない。

でもとにかく、ついに真冬のサービスエリアで突っ立っている私を見かねて、話しかけてくれる人がいた。それは二十代後半くらいの女性だった。後にも先にも、女性一人の車に乗せてもらったことはない。私からしても、乗せない方がまずいいと思う。だがその女性は、サービスエリアでご飯を食べる前に私を見て、ご飯を食べたあともまだ立っている私を見て、しばらく悩んだ末、「まじめそうだから」声をかけたと言った。まじめな人はヒッチハイクなんてするだろうか、と思ったが、それはよかったです、と言った。

東京までその人に乗せてもらった。三時間あまりの道中、話はいつになく盛り上がった。穂村弘が好きだということとか、その人が軽自動車でどこまででも運転できることとか、そんな話をしたのを覚えている。めったに乗せてくれた人と連絡先を交換しないのだが、私が(数カ月後に)二十歳になったら飲みに行こうという流れになって、LINEを交換した。もう高速を降りて、東京の綾瀬という駅の近くで車を止めていた。私はそこで降ろしてもらう手筈だった。

QRコードを見せながら「ミキといいます」とその人は言った。LINEの名前にはローマ字でMikiとあった。「なんて書くんですか?」と聞いたら「三本の木です」と言うので、苗字ですかこれ、とつぶやくと、「そりゃそうだよ、下の名前をLINEに設定しないよ」と言った。そんな人は周りには大勢いるのだけど、これが大人の感覚なんだろうか、などと感じた。

お礼を言って別れて、私はそのまま、家に帰るための電車を綾瀬駅のホームで待ち、新しい年を迎えた。終夜運転を乗り継いで東京西郊の自宅に戻った。私はその年の四月に成人し、酒を堂々と飲めるようになったが、とくにミキさんに連絡をとらなかった。もちろん、その後も今に至るまで、連絡をしていない。少なくとも車中で三時間話をし続けられたのだから、飲みに行ってもお互い厭な思いをするほどのことはなかったと思うのだが、なんとなく。

そういうことを、さきほど夜な夜な目覚めて、『ノルウェイの森』を読みながら思い返していた。『ノルウェイの森』は本当に何度も読み、筋をあらかた覚えているので、何の気負いもなく読める。深夜の無聊をなぐさめるために、暇つぶしとして読んだに過ぎないのだが、この小説を一番読んでいた頃——ちょうど十代と二十代の境目にヒッチハイクを繰り返していた頃——に比べると、全然面白くない。

私は今年二十五になる予定で、数時間後には仕事をせねばならない。この小説に充満する学生気分がもうあまりなじめない。この小説をもっとも力を入れて読んでいた時代を思い出し、ヒッチハイクのことも思い出し、いくつか写真を見て、ヒッチハイクと人生は同じじゃないかと思った。

偶然に人と出会い、仲良くなったりならなかったりして、仲良くなったとしても、いずれ環境の変化によって交流を失う。期間は変わるものの、ヒッチハイクも人生も同じなんじゃないか。どんなに仲良くなっても、車を降りてしまえばそれまでだ。私は、人生においては定期的に接点を復活させようと努める傾向にあるのだが、それにしたって、交流の途絶えてしまった人などいくらでもいる。それが必ずしも悪いこととは思わないのだが。

ヒッチハイクをしたときの写真を見ると、リュックにマフラーがくくりつけてあった。これはその少し前に、当時付き合っていた(それとも今にも付き合うところだったのか、もう思い出せないが)女性からもらったもので、今では手許にない。その人は高校の同期で、私の通っていた大学の近傍にある女子大で哲学を専攻しており、数カ月付き合って別れた。それから五年が経ち、私は大学をやめ、就活らしい就活もせぬまま今の会社に潜り込み働いている。彼女は真面目に大学を出て、そして堅い職場に勤めていると聞いている。

そういう場所に私は来てしまった。当時、そんな状況を想像もしていなかった(大学はいずれやめるだろうな、という予感はあったが)。とにかくそのときそのときのことを考えていた。暢気だったのだなと思う。その彼女とも、もう数年は会っていない。そのようにして人生は進み、いずれ終着点を迎えるのだろう。そういうことを考えるようになった。まだ若いと人は言うだろうが、それは「もう若くない人たち」のなかで若いだけじゃないだろうか。こんな文章を書いているのが、かろうじて私に残された若さだとは思う。楽になりたい。

居酒屋に若者たちは美しく喋るうつむく煙草に触れる (堂園昌彦)