2022-12-11

昨夜眠るのが遅かったので昼過ぎに目覚める。きのうは知人が主催した音楽のイベントに行っていた。ふつうにライブハウスのようなところで行われるイベントなのだが、前座としてフリーマーケット的なものがあり、そこに何か出してくれと言われたので、運勢に応じて古本と交換できるおみくじを用意して出した。

イベントそのものはたぶん夜の十一時過ぎに終わって、というか終わる少し前に高校の同期が車で帰ると言うので、面識がある程度の知り合いだったのだが、うまいこと言って笹塚まで乗せてもらって帰ったので、日付が変わって一時間も経たずに家には着いたのだが、うまく寝付くことができなかった。

知り合いの知り合いの知り合いくらいの人が多くいる空間で、つまりよく知らない人が多く、それでも狭い場所なのでコミュニケーションが生まれることもあり、そういうところで音楽を聴きながら、煙草を吸いながら話すというのは心が疲弊すると同時に昂ぶってしまう。楽しいイベントではあったが。

それで音楽をかけながら(これが流れたらよいのになと思いながら流れなかった曲を中心に)、夜な夜な友人に突然電話したりして迷惑をかけつつ、朝方に眠った。

紅葉でも見に小石川後楽園あたりでも散歩するかと思ったが、横になりながらぐずぐずしていたら通り雨が来るという通知が来たので、そもそも先週も紅葉でも見に等々力渓谷に行ったよななどと考えたり、無線LANの調子がずっと悪く、この前ルーター(床に転がっている)を踏んづけたからかもしれないな、などと思いつつ、接続は途切れないがインターネットへのアクセスが途切れるというのが頻繁に起こっていらいらしたりしているうちに、外が暗くなったので諦め、洗い物をしたり米を炊いたりした。

無洗米が大好きなのだが、このまえ寝ぼけながら米を買いに行ったら有洗米を買ってしまい、有洗米などという言葉があるのか知らないが、少なくともATOKでは変換候補にないが、あるとしたらレトロニムである。有洗米を研ぐとき、どうしてもシンクに米粒がいくらかこぼれてしまうのが気になる。不器用なのか、やり方が間違っているのかのいずれかか、その両方だろう。水が冷たい。

いい加減お腹が空いたので(そして「炊飯」ボタンも押したので)、スーパーへ。昨日は疲れたし食事をあまりまともにとっていなかったから今日は豪勢にステーキでも焼くか、と思ったのだが、パンチのあるものだけでなく野菜を食べたいという気持ちもあり、味噌汁に適当に野菜を入れておくことで妥協しようとしていたのだが、スーパーをさまよっているうちにキムチ鍋にすればパンチのあるもので野菜も食べられるから最良ではないかと思ってキムチ鍋の具材を買った。

家から一番近いスーパーが業務スーパーで、一人暮らしとは相反するボリュームの商品が品揃えされている。ふつうのスーパーに行くといまどき、「鍋のもと」も小分けにされたものが売っていて、ひとりで鍋をするときも安心なのだが、業務スーパーには、従来式の三〜四人前くらいある鍋のもとしかない。豆板醤とキムチと味噌を入れておけばつゆができるとインターネットで見たのでその通りに二人前をつくることにする。

なぜかスーパーに白菜がなくて、業務スーパーは生鮮食品の品揃えが不安定なので仕方ないのだが、白菜がないのに「スーパー」マーケットとは言えないだろうと思いながらコンビニに行く。コンビニは名前に恥じずコンビニエントなので、白菜どころか一〜二人前程度の分量の、鍋によく使われる具材がカットされたものがあり、迷わずそれを買う。でもよく考えると白菜はキムチに入っているからなくてもよかったのかもしれないが、鍋は白菜を食べるものだと思っているので多ければそれに越したことはない。

いつも通り手際の悪い調理を済ませて、カセットコンロを出してひとりで鍋をつつきながら、行儀悪くインターネットのくだらない文章を読む。至福のときだと思うが、なにせ無線LANの調子が悪い。食事が一段落したところで、一段落というのは本当にそのままの意味で、食事が終わったわけではない。私は食が太いほうではないのだが、食が細いという言い方に比して食が太いという言い方はほとんど耳にしないが、それはさておき食事の最中によく休憩を取ってしまう。これは小食の人にはありがちなことだと思うが、休憩を取ればそのあいだに満腹感が増すことはあっても減ることはないので、むしろ休憩を取るから小食なのかもしれないが、とにかくそのタイミングでルーターを交換してしまうことにした。

実家にいた際に使っていたルーターが、かなり良いものなのだが、実家が新しいルーターを導入したとかで不要になったので、メルカリにでも出すかと以前持って帰ってきていたのがあったので、それに変えてしまうことにした。変えてしまうと、通信は安定し速度も速くなり、すばらしかった。今度は容易には踏んづけない位置に転がしておいた。

そしてすばらしい品質のインターネットを享受しながら食事の続きをした。喫煙者なら誰でも、食後の一服がおいしいことを知っていると思うが、私は食事が八割くらい済むとそのことを考え始めるようになり、早く煙草が吸いたいなと思いながら食べていることが多い。今日もそうで、盛り付けただけの白飯を終盤は流し込むように食べていた。土井善晴が聞いたら怒りそうな話だが、もともと食への執着はそんなになく、「できればおいしいものを食べたい」くらいである。

そのあとはなにか文章を書きたく(文章を書くことには精神を落ち着かせる効果があると思う)、書くこともあるのだがうまく言葉が出てこなくて悶々としながらTwitterを見たり本をぱらぱらめくったりしながらキーボードに向かっていたのだが、気づいたら書けて、ここに至る。映画を見たいような気がするが今から見ると明日の仕事は無事ではないかもしれない。