2022年1月26日 水曜日

昨夜から泊まらせてもらった友人の家を出て上野をさまよう。最近少し日が延びてきて嬉しい。ギャランでアイスティーを飲んだ。喫茶店で本を読んでいるときにふと、とてつもない幸福を感じる。学術書などではそうはならなくて、エッセイや日記や歌集を読んでいるときだけ。

ギャランは、内装、立地、メニュー、値段、店員さんの制服、客層などすべての点においてバブルという感じがする。歌謡曲か演歌が流れていがちでもある。すべての席で煙草が吸える。そういった種類の喫茶店で本を読んで煙草を吸っていると、この最低の2022年、最低の21世紀から、幻想のなかにある昭和にいる気分になる。40年前にも人々は紅茶と煙草をのみながら本を読んでいただろう。スマートフォンやインターネットや新型コロナウイルスとはおさらばだ。その現実逃避に幸福を感じているのかもしれない。

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お店を出て、でかい湯船に浸かりたく、上野から行きやすい銭湯、と考えて南青山の清水湯に行くため銀座線に。上野周辺にもいくらでも銭湯はあるのだけど、東京東部の銭湯は熱くて入れない(ことがある)。御徒町の燕湯とか雰囲気は最高だけど熱すぎるだろう。

清水湯はきれいな銭湯である。そして銭湯の公定価格なので安い。そして便利な場所にある。というわけで混んでいがちで、今日も混んでいたが湯船はあまり人がいなかった。みんなサウナにいる様子。最近サウナ流行りすぎだろ。嫌いではないが、混んでいるサウナに入ってまでというほど好きでもない。

清水湯は上が賃貸マンションになっていて、南青山で銭湯をやっていけるのは土地を持っていてほかに収入があるからなのだろうなあ、と邪なことを考えてしまう。その場合銭湯が慈善事業のような感じはするのでありがたいけど。

そのまま渋谷まで青山通りを歩く。湯船に浸かっていたからかもしれないが、あまり今日は寒くない気がする。途中青山ブックセンターに入る。青山ブックセンターは鼻につく部分はあるが基本的に良い書店なのでその辺を通ると入ってしまう。ただ蛍の光が鳴り始めて十五分くらいで出ざるを得ない。みすず書房の『青森』を立ち読みして感動する。工藤正市の写真集。なんでみすずがこれ出したのか知らないが良い写真だと思う。去年の夏青森に行ったときさびれきっていた、第三新興街という盛り場が戦後まだ「新興」だったときの写真があり、陳腐な言い方しかできないが震えるような思いがする。

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青山ブックセンターに立ち寄ったせいで渋谷に着く頃には九時を過ぎていた。お腹が空いているが最近の東京では九時には閉める店が多い。「俺流」は前回の緊急事態宣言のとき夜でもやっていたことを思い出して、センター街の俺流へ。俺流というのは俺流塩ラーメンのことで、渋谷ではまともな部類の飲食店である。店を出たあとちとせ会館の前を通り過ぎたら結構空きテナントがあるっぽくてああ、となった。

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山手線も埼京線も好きではないのでバスで新宿へ。京王線に乗って帰った。シャッフル再生でフジファブリックの『陽炎』が流れてきてなぜか泣いてしまいそうになる。いやいい曲だけどそんなことは今までなかったぞ。俺の感受性はどうなっているんだ。ていうかフジファブリック聞いて泣きそうになるってゼロ年代かよ。そのあと酔っ払っているのか隣の人に豪快にぶつかりながら眠っている人を見てその繊細な感受性はどこかへ行ってしまった。


最近まわりで日記を始める人が多くて嬉しい。それを始めることにこの日記が少しでも影響していたら嬉しいなと思う。なぜなら人の日記を読むのが大好きだからです。