2022年1月19日 水曜日 バス

バスが好きだ。なかでも都バスは良い。バスの好きなところを書く。

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東京という街は交通が案外貧弱で、特に都心部を外れると、東西方向(都心と郊外を結ぶ軸)の交通は充実しているが南北方向の移動が大変困難であることが知られている。たとえば荻窪から下北沢に行こうと思ったら、おそらく新宿経由のルートを提示されるだろう。

そういうとき使い出があるのがバスで、電車で行くとひたすら乗り換えを強いられるような地点間でも一本で結んでくれたりする。電車や地下鉄と違って階段を上り下りする必要もない。飯田橋駅のようにひたすら通路を歩かされることもない。ただ来たバスに乗ればよい、という簡便なシステムである。

郊外だけでなく、都心部でも「こんなところとこんなところを結んでいるのか」と便利なときがある。たとえば僕の友人で根津(上野公園の裏あたり)に住んでいる者があるが、根津と大学のある早稲田はバスで直通している。そのバスはそのまま上野松坂屋まで行く。どこまで乗っても210円だ。電車や地下鉄で早稲田から根津や上野に行くのは少し面倒じゃないだろうか。


そんなことはでも、バスの価値ではない。便利だな、とは思うが便利だから好きになるのなら、僕はセブン-イレブンのことが大好きでなければならない(大好きだが)。バスの価値は、暗さと速さにある。それは夜に街を走るバスに乗らないとわからない。

バスの車内は、なぜか知らないが薄暗い。新しめの車両では少しだけ明るくなっているような気もするけれど、たとえば飲み屋を後にして地下鉄に乗るとまぶしくて自分がさらけ出されているような感覚に陥ることがあるが、それに比べたら新型車でもずっと暗い。

なんだろうこの微妙な明るさは、と思いながら後方の席に座る。窓際に限る。変速で生じるかくんとした揺れが心地良い。外を見ると変な看板やきれいなビルが、目でぱっと捉えるには十分だが、きちんと確認したり写真に収めたりするには足りないくらいのスピードで過ぎ去る。あ、面白い看板があったのに、という残念な気持ちとともに新目白通りが後ろに流れていく。そのスピードがちょうど良い。

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バック・シートに眠ってていい 市街路を海賊船のように走るさ [加藤治郎

文京グリーンコートが見える。すぐ近くに六義園があるはずだが、通りと六義園のあいだには建物が連なっていてよく見えない。建物のすきまにときどき、樹木らしきものが見えるだけで、昼ならもう少しわかるのかもしれない。音楽をかけよう。

曲と曲のあいだでちょうど、次の停留所が「どうかんやました」だと告げるアナウンスがかかる。案内表示を見てそれが「道灌山下」だとわかる。太田道灌と関係があるのだろうか。きっとあるのだろう。この辺はもう千駄木の近くなはずだ。バスは護国寺の角からこの方、ずっと交差点を直進している。不忍通りがぐるっとカーブを描いていることがわかる。

幼稚園くらいの女の子が乗ってきて、「あなたはそろばんを習っていますか?」という広告アナウンスに「習っています!」と叫んだ。にやっとしてしまう。次のバス停で降りれば友人の家はすぐそこだ。「降りますボタン」を押す。そして久しぶりに地面に立った。


ある知り合いのことをずっと誤解していた、ということが、その人と話してわかった。その誤解のために余計なことがいままでたくさん起きてしまった。その気持ちをうまく書けるようになるまでは時間がかかるだろうが、やっとわかった、という感慨だけを記しておく。わかったつもりになっているだけかもしれない。