のっけから失礼な物言いで恐縮だが、JR東日本系列の商業施設「ルミネ」があるなかでもっとも栄えていない街が荻窪であることは論を俟たない。
ルミネのウェブサイトを見ると、荻窪のほかには新宿・有楽町・北千住・池袋・立川・町田・大宮・川越・横浜・藤沢に店舗があるらしい。有楽町を除いてはいずれも交通の要衝、ターミナル駅である。有楽町は銀座の隣町であり、阪急メンズ東京や丸井といった百貨店が立地し、少し歩けば東京駅という場所なのだから当然栄えている。
そこで突然、荻窪。誤解を招かないように言えば、荻窪は決して小さな街ではない。地下鉄丸ノ内線の終着駅でもあるし、ある種のターミナルと言えるのかもしれない。でもそうは見えない。ペデストリアンデッキもないし、家電量販店もないし、当然百貨店もない。なぜこんなところにルミネがあるのだろう?
でも、「ルミネがありそうな街」なんて逆に、画一化された、ただ大きいだけの街という感じがしないだろうか。便利かもしれないが、面白くはない街。ルミネがなさそうな荻窪は、面白い。そんな荻窪を歩いた。
土曜日の昼下がり。三連休の初日で、天気が良い。家で鬱々としているのもしゃくで、国立から中央線快速電車に乗って気が向いた街で降りることにした。上り電車に乗る。
乗ってすぐ、荻窪があるじゃないか、と思う。荻窪に目的があって行くことは少ない。吉祥寺のようには栄えていない。西荻窪や高円寺のようにわかりやすい個性があるわけでもない。実際僕も荻窪は一年ぶりくらいだ。でも、散歩にはちょうどいい街だった気がする。荻窪で降りよう。
さて改札を抜けてなんとなく歩いていると「なごみの湯」の看板が見えた。天然温泉とサウナと岩盤浴があるスーパー銭湯。スーパー銭湯って二種類あって、ひとつはだいたい1,000円くらいで夜は午前1時くらいまでで、タオルや館内着は別料金のところ。もうひとつは、2,000円くらいで朝10時から翌9時までみたいな営業時間で、アメニティ全部入りのところ。なごみの湯は後者にあたる。少し高いけれど、長居が前提でその分設備も充実していることが多い。
大学一年とか、それくらいのときはなごみの湯、たまに行っていたなあ、と近づくとコメダ珈琲の看板もついている。なぜかコメダが融合していた。最近できたものらしい。コメダは、反対側の出口にもあるのだが常に混んでいた印象なので荻窪の人は嬉しいだろうな。現に店の前にはベンチが置いてあり、ここも並んでいるようだ。
駅から見てなごみの湯の少し手前に小路があって、道沿いにちょっと気になる看板が見えた。それがこれ。
カップル喫茶って今時存在していたのか。いや営業はしていないのかな。外からはうかがえない。気になったのでいま調べてみたら、インターネット黎明期のような「ホームページ」が出てきた。以前ホームページは和製英語と知って、IT系の仕事をしていたこともあり、書き言葉では普段ウェブサイトと記すけれど、これはホームページと呼びたくなる。「Last Update: 2021/12/24」とあるので現役らしい。すばらしい。
この通りはちょっとした飲み屋街というか、歓楽街と呼ぶには小さいけれど、それに類するものらしく、ほかにもスナックというかパブというのか、詳しい分類は知らないけれどそういったお店がいくらか立ち並んでいる。
こういったなかに、一見普通の居酒屋があったのだが、そこに貼られていたバイト募集の張り紙が強烈だった。
「化け物」じゃなくて「化け者」なのがなんだか気になります。こういったインパクトのあるお店たちが小さな通りの一角に軒を連ねている。
ちょっと情報の洪水に疲れてきたので、通りを抜けて別の方角へ歩く。駅前の交差点から多くの人が入っていく小路があったのでそちらへ。人が集まるところには何かがある。
「教会通り」という商店街らしい。おそらくこれを抜けたところに教会があるのだろうと思いながら歩く。するとこちらはこちらで魅力的な通りだった。
「コロッケ店」というのが自信を感じさせて良い。コロッケって惣菜としてもちろん人気だろうけれど、メインを張るほどではない気がする。精肉店とか惣菜屋で買うものだと思う。そのなかで「コロッケ店」と名乗るのは相当コロッケがおいしいんじゃないだろうか。メンチカツとかも置いているようなのに。でも特に買いませんでした。
西陽が差すなか高齢の男性が、お店のママと談笑しながら鉢を植え替えていて、『映画クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ! オトナ帝国の逆襲』劇中に出てくる昭和の商店街のような人情味だった。
そしていかにも中央線だなと思わされる路地。
よく見ると、おそらく廃棄された椅子の上に、かつて雪だるまだったであろうものがある。この二日前に東京は雪が積もった。
通りの左右はおおむね住宅街のようなのだが、なぜか唐突に鉄塔が伸びている。
近づいてみても何の塔なのかはよくわからない。先っぽにアンテナがついているけれど、すごいアマチュア無線のマニアとかが住んでいるのだろうか。テレビのアンテナとか携帯の基地局はこういう形状ではない気がするけどなあ。元の通りに戻る。
解け残った雪が氷になっているのをひたすら舐めながら歩いている犬がいてかわいかった。通りを最後まで抜けると、やはり教会があった。
セブンスデー・アドベンチストは、日本語では「安息日再臨派」(Seventh-day Adventist)と呼ばれることもあるらしい。かっこいい。『はぐれ刑事純情派』も思い出してしまうけれど。あのドラマちゃんと見たことないけど、結局純情派ってどういうことだったんだろう?
この先は住宅街が続くようなので、教会通りを駅の方へ引き返す。
お腹が空いてきたので何か食べよう。ケンタッキーが見えて、チキンもいいなと思ったが荻窪はラーメン激戦区であることと、以前行ったことのあるラーメン屋がおいしかったのを思い出して向かう。
春木屋はたぶん荻窪で一番有名なラーメン屋で、創業70年以上の老舗。吉祥寺にも店舗があるらしいが荻窪の本店しか食べたことがない。以前来たときは数人並んでいたけど、昼食には遅く夕食には早い時間だったので並ばずに入れた。
ごくノーマルなラーメン(たぶん850円)を注文。カウンターに通される。カウンターでは間近に店員さんが調理する様子を見ることになり、とても食欲を刺激されるけれど、これ客がしゃべったら唾も飛ぶ距離だなとつい考えてしまう。ひとりだし、感染症も流行しているのでマスクをして黙って待っていたが。
若い外国人の店員さんに対して、中年のベテランと思しき店員さんがつねに敬語で接していて、そういうのが気持ち良い。ため口でも親しみが持てる感じだったら良いんだけど、店員さんが目下の人間に横柄だと食事がまずくなる。偏見とは思いつつ、ラーメン屋ではありがちな光景だと思う。
ラーメンはおいしいです。東京の中華そばという感じ。スープがとても熱くて口のなかを少しやけどした。ずっと調理の過程を見ていたのでわかるのだけど、チャーシューは少し生の状態で投入され、ほかの具材が投入されている間にスープの熱さでゆであがるという寸法だった。
喫煙者なので、食事のあとは煙草と茶を喫する。荻窪にはいくつか煙草の吸える喫茶店が残っていて、先ほどキャプションで書いた邪宗門もそうで、とても雰囲気のある良いお店で、たとえば飲み物を頼むと必ずロータスのビスコフがついてくる。
ビスコフがつく喫茶店というだけで名店とわかるというものだが、腰の曲がったおばあちゃんが二階までコーヒーを持ってきたりしてくれて、すごく申し訳ない気分になるので、珈琲館へ。珈琲館はかなりの店舗が禁煙になっているけど、一部は喫煙可能で残っている。荻窪の珈琲館もそのパターン。
珈琲館に入るとなんと、腰の曲がったおばあちゃんがひとりで店を回していた。マジか。一瞬引き返そうが迷うが、今更引き返すのも不自然なので、席につこうと二人がけの席に向かうと、片付けが間に合ってないらしく四人がけのテーブルしか空いていない。そちらに座る。上階がないので邪宗門よりましだと思いたい。
珈琲館はチェーンだが少し変わっていて、特にフランチャイズのお店ではオーナーの裁量が多少大きいように思われる。だから煙草の吸える店舗も残っているのだろうけど、普通のカフェチェーンみたいにすべてのお店が画一ではない。ここはおばあちゃんがひとりで回している以外は、一般的な珈琲館と同じだった。
注文を済ませて、待っている間に中年の女性がやってきて、テーブルを片付けふきんで拭いていた。あ、パートの人とか雇ってるのかなと思ったらそのまま荷物を席においてくつろぎはじめて、どうも常連さんらしい。常連が老店主を手伝って飲み物を運んだりしているのは、国立の「大澤」と同じだ。
その常連さんはメニューを頼むついでに「テーブルやっといたからね」とおばあちゃんに伝えていたが、その言い方がまったく恩着せがましいものではなくて、普段から手伝っているのだろうなあという感じがした。
また僕の少し後に男性が入ってきたのだが、なぜか注文せずにずっと目の前のテーブルに座っていた。そして僕が頼んだ黒蜜カフェラテを持ってきたあと、おばあちゃんは「ちょっと待っててね」とその人に声をかけて、男性が微笑んだので、まだ注文すらしていないのに何を待つのだろうと思ったが、しばらくしてホットの紅茶を持ってきた。常連さんが頼むものを把握しているらしい。すごい。
といったなんやかやを横目に、『禅とオートバイ修理技術(上)』を読む。これは良い本です。六割くらい読んだところから最後まで読み終わって、飲み物もなくなったのでお会計。
店を出るとすっかり夜だった。
少しだけ、駅の周りを歩く。
お後がよろしいようで、と思いながら下り電車に乗って帰った。