2023年2月1日 水曜日

2023年の2月、この国でいま一番ホットな話題は回転寿司における衛生の確保であり、その脆弱性を示した高校生は非国民として四方八方から批判されている。私はああした人民裁判が大嫌いで、もちろん馬鹿な高校生も好きではないが、己の狭量な正義と倫理に心酔し、インターネットの表面的な匿名性をいいことに口さがない人間たちに比べたら幾分ましだと思う。

それでとにかく回転寿司の話題や店内の映像を目にすることが多い状況で、友人がそれを踏まえて「寿司を食べに行こう」と誘ってきたので仕事のあとに行くことになった。高校生ひとりの行いによって時価総額が百億円単位で下がったという回転寿司チェーンを予約した。

その予約の少し前に友人は家を訪ねてきて、煙草を吸い、私が先日回収したダークバッグを使ってカメラからまだ撮りきっていないフィルムを取り出していた。そんなことをしているうちに予約の時間が迫ってきたので家を飛び出たら友人は鞄を忘れた! とか言ってまた戻った。時間は大丈夫だった。昼間は風が強かったらしいがもう止んでいて、かなり過ごしやすい。

寿司は美味しいことで知られる料理であり、衛生面に多少の疑念が生じた現在でも、店内はそれなりに混み合っていた。逆にいまが一番衛生的なんじゃないかとか軽口を叩く。回転寿司といいながらも、寿司は姿を消してわさびだけが回っていて、客のテーブルまで注文されたネタを直送するレーンだけが稼働していた。

私は熱い飲み物をめったに飲まないので回転寿司ではおおむね水を飲んでいる。それで水を取りに行ったら、わらび餅の上でダウジングをしている女性がいた。なんらかの鉱物と思しきペンダントトップをぐるぐる回している(あるいは、回っているのか)。なんなんだと思う。

寿司をひととおり食べて店を出てもまだ宵の口だったので、遊ぶかとなった。とは言っても何をして遊ぶかなど思いつかず、とりあえず目についた無印良品に入った。友人は四月から一人暮らしをすることになったので、新生活の準備がとか言いながら、店内をうろちょろした。

結局友人は何も買わず、私がアイロンマットとかいう、アイロン台の代わりになる厚手の布を買って出た。先日スチームアイロンを買ったのだが、アイロン台がないので衣類スチーマーとしてのみ使っていた。これはアイロン台と違って場所をとらないからいいな。まだ使っていないので本当に代わりになるかはわからない。値札には1,290円と書いてあったのだが、レジでは袋に入れてもらっても1,000円しかかからず困惑していたら、値札は2月3日からの新価格だった。

無印を出ていよいよすることがなくなり、でもまだ帰るには早いので<クール>に入る。クールは、歌舞伎町一番街の突き当たりにある23時間営業の喫茶店で、すべての席で煙草が吸え、いつ行ってもいかめしい人たちがいるが、治安はまったく悪くない不思議な場所である。クールでそれぞれ飲み物を二杯飲み、結婚の話、仕事の話、共通の知人の近況など、ありとあらゆる土地で繰り広げられるどうでもいい話をひたすらして解散した。

ミスドの横手から「四季の路」に入って帰る。ここは突然まわりと異なる雰囲気で、なんだか不思議な気持ちになる。シティ・ボーイなのでNujabesとかを聴く。元々は都電の線路だったらしいということを最近知った。

四季の路

撮れ高がないときはアレ・ブレ・ボケにしとけばよい。

2022年1月31日 火曜日

先週国会図書館に仕事の調べ物をしに行ったが、必要な資料のうち1ページだけコピーし忘れたことに気づき、だるいなあと思っていた。まあいいかこれなくてもなんとかなるか、とも考えたけれど、変なところでこだわりがあるので、少し早めに退勤して国会図書館に駆け込む。

仕事の話なので本来業務時間中に行ってもよいのだが、上司にそれを説明するのが面倒なので、仕事を終えてからにする。よりによって、都内で都立中央図書館と国会図書館にしか所蔵がないような専門書だった。

国会図書館は平日は19時までで、資料請求と複写の申請は18時までである。先に本を請求し、必要なページを確かめ、複写申請をしなければいけないので、18時ギリギリに請求をしていたのでは間に合わない。しかし17時35分くらいに着いた。請求してから資料の受け取りまでに20分くらいかかるとされているので危ない橋である。

図書館には鞄などを持ち込めないのでロッカーに突っ込んでいたら「時間ないんだから行くよ!」と背広姿の中年の女性が部下と思しき男性に発破をかけていた。きっと毎日このような光景が繰り広げられているのだろう。

館内の端末で本を請求して待つ。少しトイレに行きたいような気がしたが、いつ本が出てくるのかわからないので耐える。途中、どうせ複写を申請したあとにも少し待たされるのだから暇つぶし用の本でも請求するかと、高柳克弘の句集『未踏』を頼む。これは絶版になっていて、古書の価格は八千円程度まで高騰している。

前回行ったときは20分といいつつせいぜい十分程度で資料を受け取れたのだが、終了間際に駆け込みで請求する人が多いらしく、17時50分になっても来ない。もう間に合わないかもしれない、その際は資料の内容をメモだけしていこう、などと思ったが57分くらいになってようやく受け取れた。

即座に複写申請書を出力し、必要なページを焦る気持ちを抑えて探し求め(1ページないことはわかっていたが、それがどこのページなのかはわかっていなかった)、見つかった瞬間にページを記入して複写カウンターへ。終了の1分前くらいだったと思う。ギリギリで複写を申請する仲間たちが列をなしていた。

無事複写の申請を終えて、そうしているうちに句集の方が受け取れるようになったので読む。タイトルにもなっている「未踏」というのは、「ことごとく未踏なりけり冬の星」という句(と、あとがきによればおそらく、俳句を作る上での態度でもある)から来ているのだと思う。この句と、「一月やうすき影もつ紙コップ」だけどこか(「橄欖追放」?)で見て知っていて、それで読みたいと思っていた。未踏の句は巻頭に来ていた。

高柳克弘は1980年の生まれで本書は2009年の刊行。2003年から2008年までの357句が、年ごとに章に分かれ、おそらく編年体で載っている。奥付に著者の現住所が記載されていて、昔の本だとよく見るけれども今時珍しいなあと思った。これはWikipediaにも書いてあるので公知として書くが、国分寺市に住んでいるらしく、私は幼い頃国分寺に住んでいた上、転居した後も実家は隣町にあるので親近感を持った。

私は短歌については以前から興味があり、人並みより少しは知っているのだが、俳句はほとんど何も知らない。それでもこの句集はかなりよかった。まず「序」で紹介されていた石田波郷の「バスを待ち大路の春をうたがはず」という句がよかった。高柳は晩年の藤田湘子(2005年没)に師事しており、波郷はさらにその師にあたるらしい。よいなと思った句をメモしたので、いくつか紹介したい。

木犀や同棲二年目の畳

特急の浮遊感覚ぼたん雪

少女寝て人形起きてゐる朧

飾るものなし花冷のくびすぢに

林檎割る何に醒めたる色ならむ

キャラメルの角のゆるくて水澄める

寒灯や造花は針金のつよさ

さみだれや擬音ひしめくコミックス

コスモスのなれなれしさよ旅衣

鳥語より人語まづしき小春かな

睦言といふには淡き屛風かな

見てゐたるをんなに見られ年忘

12句を挙げさせてもらった。俳句なので春から冬まですべての季節にわたって詠まれているのだが、私は秋の句、冬の句にとくに魅力があると思った(どれが季語で、あるいは季語がどの季節にあたるのかわからない句もあるのだが)。中身が良いだけでなく、ふらんす堂らしい美しいつくりの本であり、絶版になっているのが残念で、ぜひ手元に置いておきたい一冊。

短歌でも十分に言葉は圧縮されていると思うが、俳句はそれに比べるとなお切れ味がよく、これに比べると短歌も冗長に思える。たとえば「冬の星」で「ことごとく」とくれば、与謝野晶子の「冬の夜の星君なりき一つをば云ふにはあらずことごとく皆」を思い出すが、それに比べて「ことごとく未踏なりけり冬の星」は実に簡素ではないだろうか。十四音がないことでここまで印象が違うか。もちろんそれらはまったく異なることを詠んでいるのだが、短歌が冗長に思えるひとつの例として。

引用一句目の「木犀や同棲二年目の畳」という句のじめじめした感じが実にぐっとくるのだけど、後で調べたら高柳は早稲田大学の第一文学部を出ているらしい。私も学部は違うもののそこに通っていたのだが、なるほど「神田川」めいた湿っぽさである。合点がいく感じがした。先の引用は掲載順なので、後の句ほど後年に詠まれているのだが、最後の「見てゐたるをんなに見られ年忘」などはなんとなく、一句目に比べ歳を重ねた余裕を感じさせる。同棲は解消したのだろうかなどと気になってしまう。短歌も、歌の主体は作者自身であるという感覚が強いが、俳句はよりそのように受け取ってしまう。

ざっとすべての句を読み、気に入ったものを携帯でメモしているうちに、三十分が過ぎていた。複写はとっくに終わっていて、申し訳ないなと思いつつ受け取る。本を返却して退館し、新橋へ。図書館を出るとちょうど目の前に新橋駅前行きのバスが止まっていて飛び乗る。


新橋というか銀座というかその間あたりで(東京に土地勘のない人はご存知ないだろうが、新橋と銀座はとても近い)、七時半からある人を訪ねて打ち合わせをする約束があった。しかし四十分弱余裕があったので、二十分散歩して二十分喫茶店に入る。革靴が痛い。喫茶店といっても、ファミレスのようなドリンクバーが置かれていて、セルフサービス。10分間110円で利用できる、という形式の店。ニュー新橋ビルにあって煙草が吸える(というか店名からして「タバコ天国」という)。このような微妙な空き時間には実にありがたい仕組みだ。

銀座の端っこにある先方の事務所に向かい、打ち合わせ。小一時間で終わる。打ち合わせを終えて、先方に見送ってもらいながらエレベーターホールに出たとき、非常に強い既視感に襲われた。ここに来るのは初めてのはずなのだが。私は以前にもこれを見たことがある、私はこれを繰り返している、と確信してしまうような感覚。すぐに理性がそれを打ち消す。

ビルは銀座の裏通り。立ち並ぶスナックだかキャバレーだかの看板が北新地を思わせる。私は銀座にはほとんど用がないが、北新地は観光のついでに何度か行ったことがあるので、東京生まれなのにそう思ってしまう。高級な店にはほとんど縁がない私でも知っている「久兵衛」のある通りで、店の前には「予約車」のタクシーが連なる。この街でしか見ないような高さのヒールの女が行き交っている。祖母が昔銀座のキャバレーで働いていたと聞いたが本当だろうか。ここは俺のいるところじゃないなと思う。何枚か写真を撮って帰る。

2023年1月30日 月曜日

土日に歩き回っていたせいか朝すっきりと目覚めることができず昼くらいまでぼんやりと横になっていた。横になっていたら元気になり、その上割り込みで仕事が入ってきたのでそれは終わらせた。やることはとりあえずやっているので容赦してほしい。

退勤して、暇だし渋谷でも行くかと身支度を済ませて外に出たら自転車が倒れる程度の強風が吹き付けていてこれは無理だと思った。家で読書でもしろということだろうと、せっかく余所行きの格好をしたが近所のマクドナルドに行ってテイクアウトだけして帰った。金曜にもマクドナルドに行ったのだがそのとき注文を間違えられたので、なんとなく気がかりでまた行ってしまった。最近夜ご飯は毎晩適当で、そろそろもう少し健康に良いものを食べる必要がある。鍋かな。

結局家では読書などせず、はてなブックマークのホッテントリとTwitterを交互に見ているだけで時間が過ぎていった。本当は途中で投げている『日常的実践のポイエティーク』でも読みたかったのだが、平日の夜にそんなものを読むことは、もちろんできない。俺は愚かだ。


渋谷の東急百貨店が明日閉店するが、立川の髙島屋も百貨店としての営業を終了するらしい。立川の髙島屋は数年前から、ニトリやジュンク堂書店などのテナントが多くを占めていて、化粧品とか婦人服のフロアだけ百貨店としての体を保っていたのだが、それらもテナントに転換するとか。それでも髙島屋の屋号は残るらしい。

昨年すでに発表されていたらしいのだが全然知らなかった。その発表の記事を読んだら、髙島屋の社長が「(立川に)伊勢丹以外の百貨店が必要なのか」と率直なことを言っていてちょっと面白かった。他社なのに。私は最寄りのターミナルと言えば立川である地域に二十年以上住んでいたが、実際髙島屋はジュンク堂しか用がなかった。ただその二十年は私の学生時代にあたり、男子学生が百貨店に用があることはもともとほとんどない。

百貨店が閉まるとなると立川が衰えているような感じがするけど、実際には立川はどんどん開発が進んでいて、今では伊勢丹とシネマシティ1とルミネとグランデュオ2とビックカメラとヤマダ電機とららぽーととIKEAとGREEN SPRINGS3がある。書店もジュンク堂以外にもうひとつ大型書店4がある。渋谷には(東急の丸善ジュンク堂が閉まるから)ひとつもないのに。あんな便利な街はないなと離れてから思う。昔に比べると、便利だけどつまらない街になりましたが。


  1. 極上爆音上映が有名なシネコン。
  2. 阪急百貨店とJRがやってる駅ビル。
  3. 立飛という立川の大地主が肝いりでつくったショッピングモール。
  4. オリオン書房ノルテ店。

2023年1月29日 日曜日

朝起きて、しばらく横になってぼんやりしているとカーテンの隙間から陽が射し込んできて、なんとなく部屋がなんとなく感じの良い雰囲気になったのでカメラで撮った。どうでもいいものが整理されずに散らばっている——それも、ネクタイピンとかそういうちょっとおしゃれな小物ではなくて、もっとどうでもいいもの——部屋だけれど、まあそれでも悪くないかも、と最近は思うときが多い。いかにも私の性質を反映したような感じで落ち着く。

ビルの池が凍っていた。

昼過ぎ下北沢へ向かう。友人の内見に付き合うため。不動産屋は下北沢だったが、そこから十分くらい歩く、どちらかと言えば池ノ上が最寄りの物件と、それから笹塚の物件を二つ紹介される。電車で移動させられるのは面倒だが、不動産屋のお姉さんは「日曜で道が混むので」と言って車を出すのをうまく回避していた。たぶん実際混むのだろうとは思うけど。

友人は昨日この不動産屋に飛び込みで入って物件の紹介を依頼して、今日同じ人に内見の案内をしてもらっているらしかった。担当の女性はすごく調子の良い人で、歳の頃は我々より数個上。不動産屋らしく押しの強い感じで、「今日決めちゃって私とお兄さんたちとでスマブラしましょうよ」とかすごいことを言っていた。麻雀の方がいいですね、と言ったら、「私麻雀好きすぎて愛犬にロンってつけちゃいました」と言われた。

友人はそれなりに残業を課せられており手取りもそれなりな上、堅実な性格で二十四歳とは思えない貯蓄額なので、真っ当な部屋を紹介してもらっていた。新宿区内、山手線の内側で二十平米以上あるのに月六万の我がボロアパートとはえらい違いだったが、私などはいつ会社を辞めてもおかしくない人間なので固定費は安いに越したことはなく、それで満足している。

私が内見をしたのはもう一年近く前だが、相変わらず、さあどうぞ見てくださいと言われてもここでどう生活をしていくのか想像がつかない。何を見ればいいのかわからないまま水回りを眺めたりエアコンの年式を確認したりしている。あと何度か引っ越しをすればかなり良し悪しがわかったりするのかもしれないが、不動産というのは消費者にとっては不利な市場である。

三件の内見を終える頃には日が暮れていて、笹塚のロッテリアで飲み物をおごってもらった。本当はチェーンのカフェに入ろうとしたのだが、どこもえらく混んでいた。笹塚は「南蛮茶館」と「雅」で煙草が吸えて、それらは多分空いているだろうと思ったが、友人は(私の友人ではかなり珍しく)煙草が苦手なので、喫煙ブースのあるロッテリアで妥協する。

私は京王線はなじみ深いのだが、彼は中央線の沿線に住んでいるので、笹塚は初めて降りたらしいが、来てみるととても気に入った様子。私は笹塚を前からプッシュしていたので、だから言ったのにと思った。友人は「笹塚は確定でいいや」と言って、部屋がかっこいいけど電車の騒音が気になるかもしれない二件目と、部屋は普通だけど暮らしやすそうな三件目でしきりに悩んでいた。私は、いま選ぶなら三件目だけど初めて一人暮らしするならたぶん二件目を選ぶだろうな、と言った。

最終的に、まあいいや、帰って親と相談するわ、と言って、それより飯食わねえ? となったので、ロッテリアのすぐ近くの武蔵家に入る。なんかジャンクなものばかり食べているが仕方ない。男二人で飯を食うとなると七割方ラーメンになる気がする。

それで解散したが、まだ六時半だった。結構歩き回ったり知らない人と話したりしたのでなんとなく疲れたが、まだ六時半と思うと微妙に暇を持て余しているような気がした。とりあえず煙草を吸ってから京王線で新宿へ。ブックファーストで気になっていた本をチェックしたが、いま買うほどではなかったので、バスに乗って帰った。帰宅してBondeeをやっていたら時間が無為に過ぎていった。何をやっていいかはよくわからないが作り込みがすごいアプリだなと思った。面白い気がするけど、続く気はしない、そんなサービス。

友人は家に帰って結局、親にも三件目を勧められた上で、二件目に申し込みをしたらしい。かなり優柔不断な人なのでびっくりした。

2023年1月28日 土曜日

志賀耕太という、高校以来の友人が東京藝術大学大学院美術研究科油画第2研究室修士課程という長い名前のところにおり、彼が修士を修了するので藝大の卒展(・修了展)に、ほかの友人と連れだって行ってきた。彼の院試の作品制作を手伝ったのはついこの前のように思われるのに、もう二年経つらしい。

待ち合わせの少し前に、根津の友人宅を訪ねてダークバッグと現像タンクを引き取る。以前フィルムの自家現像に興味を持ったとき、道具を一式秋葉原のヨドバシカメラで揃えて、そのままタクシーでここに運んで現像したのだが、それ以来まったく使わずに彼の家の空間を占拠しながら埃をかぶっていた。

別の知り合いからダークバッグを持っているなら貸してほしいとしばらく前に頼まれていたのだが、ずっと忘れていてようやく引き取った形。ほかにもまだ種々の薬品やボトルなどもあるのだがかさばるのでもう少し置いてもらうことにした。

昼過ぎ藝大で、ほかの友人たちと待ち合わせ、腹が減っていたので学食で鹿肉の入ったカレーを食べる。随分おいしい。ここの学食はなにやらジビエのなんとかとかちょっとおしゃれな感じのメニューが揃っている。普通の学食とは一線を画している。以前ここに来たときはまだ私も学生で、量が少ない割に高いなという印象だったのだが、もうそうは思わなくなっていて(相変わらず量は少ないが値段は安いと思う)、これが会社員になるということか……などと思った。

藝大の卒展は藝大のキャンパスと、すぐ近くの東京都美術館の両方で行われていて、おおむね大学院が藝大、学部が都美という分類になっているよう。志賀の展示をしている建物に入る。藝大の修士課程では(おそらく少なくとも油画専攻では)各人にアトリエが与えられるので、そこで展示しているように思われた。ふつう卒展といえばそこら中に作品がずらーっと並んでいるもので、かなり贅沢な展示空間。作品はなかなか面白い。油画専攻ではあるが彼は絵をほとんど描かず、映像とインスタレーションが中心。文章が随分こなれたなと思った。

すべての学生が一斉に作品を展示しているので、心してかからないと見られないのだが、心していないので、ざっと見ることにする。東京都美術館にも行く。絵はでかければでかいほど良いな……と馬鹿みたいなことを思いながら見る。建築の学生が、ご自分でクレーンなどの免許を取得し、家の一部を縦方向に分離して移動するというめちゃくちゃな作品をつくっていてすごかった。22歳でこれを。

関田重太郎さんの作品。

大内風さんの作品。

木谷天音さんの作品。

宮宇地梨奈さんの作品。

一通り見て、歩き疲れたし煙草の吸える喫茶店でも行こうと「古城」に行くも店の外まで並んでいて驚く。結構大箱だし空いているかと思ったのだが。土曜日の夕方だからか、それとも「映える」喫茶店だからか。ついで「ギャラン」は、こちらはいつも通り混んでいて、最後に「マドンナー」に行って座れた。素晴らしい。しばらくくだらない話をする。

もうひとり、別の藝大の友人(こちらは音楽学部なので卒展には関係がない)も合流する予定だったので、河岸を変えることにして店を出る。改めてギャランに行くとさっきよりは並びが幾分減っていて、席数が多くて案外回転の悪くない店なので待つことにする。音楽学部の友人は四月からテレビ関係の音楽をつくる仕事に就職するので、キャリアの話が多くなる。根津の友人はこの前修士の入試を(筆記試験は)終えたところでこちらもやはり将来どうするかねみたいな話になる。予備校の先生になって生徒をオルグすればいいとか適当なことを言っておく。かなり楽しい時間だった。

お店を出るときに解散して、しかし根津の友人と私は腹が減っていたので麺屋こころに行く。こちらはギャランとは逆に回転が早そうなのに意外と待たされる。ジャンクな味でうまい。煙草を吸って帰った。

2023年1月27日 金曜日

日付が変わって、母親の誕生日だったので、LINEでスターバックスのギフトカード(500円×3枚)を送る。これは自分の誕生日に先方から送られたものとまったく同じ。その過程で、LINEギフトで「友だちのほしいもの」が見られることを知って見ていた。スタバやAmazonギフト券が多いななか、緑茶やケンタッキーを選んでいる人はちょっと良い。そのあと眠りにつく。


九時頃目覚める。昨日ばりばり働いたので今日はほとほどでよい。それにしても、メラトニンのおかげなのか知らないが、随分生活リズムが安定してきたし、驚くことに夜はすぐ寝付ける。目を閉じてから五分もしないうちに眠っている。ちょっとまだ一週間程度なので信用しきれてないんだけど、もしこれで一ヶ月とか安定して保てたら、錠剤ひとつで二十年余の課題が解決することになる。拍子抜けしてしまう。

ここ数日は、毎日夕方五時頃にメラトニンを服用して、寝たい時刻の一時間前に処方されているブロチゾラムを飲むことで、一時前後に眠り、九時前後に起きている。

在宅で仕事に余裕があるので、掃除や洗濯や洗い物もこなす。これができなかったら私の生活はとうに破綻しているだろう。みんな子供とかを育てながら、毎日オフィスに通勤してどうやって時間を捻出しているのか? いや正確には時間の問題ではなく、その忙しさのなかでどうやって家事をする気力の余裕を保っているのだろうか。


仕事を早めに上がってバスで渋谷に向かう。O-NESTのexPoPというイベントに行くためだが、車窓に過ぎていく明治通りを眺めていると、もういつまでもバスに揺られていたいような気分。しかし渋谷駅西口で降りる。結構余裕のある時間に上がったはずなのに気づけば開場時刻を過ぎている。

exPoPは月一のイベントで、CINRAが協賛しているとかで、入場は無料。ドリンクチケット2杯分(1,200円)で入れるというお得な代物である。さらに、O-NESTの系列はいまSpotifyがネーミングライツを買っているので、Spotify Premiumの会員はアプリを見せるとドリンクチケットが1杯無料でつく。私はそれに当てはまるのだが、3杯も飲まないかと思ってもらわなかった。

バーカウンターに並んでシャンディガフをもらう。上階に受付やロッカーやドリンク、物販などがあって、らせん階段で下階に降りるとステージと、バルコニーに喫煙所がある。感染症のせいで、結構多くのライブハウスの喫煙所が一時期閉まったり、あるいはなくなったりしていたけど、あるようで安心。煙草を一本吸ってフロアに入ると結構人が多い。何人くらいだろう? 二百人くらいだろうか、これくらいの広さは本当にちょうどいい。

夏に京都METROに行ったときも思ったんだけど、案外こういうイベントの年齢層は幅広い。仕事帰りと思しきスーツのオッさんが体を揺らしているのを見ると人生も悪くないかもしれないと思える。そんなことを考えているうちに一組目のS.A.R.が始まった。

そのあとE.sceneが続いて、その次の和久井沙良を目当てに行ったんだけど、ほかのアーティストも含めてマジで最高だった。かなりよかった。華金にライブハウスに行って聞きたい種類の音楽が揃っていた。いやー、最高、最高。

和久井さん1は大学一年のときに藝大の学園祭で演奏を聞いて以来のファンなんだけど、そのときは同じ藝大の打楽器奏者と組んでやっていて、そのユニットが好きだったんだけれども、ソロになっても鍵盤ひとつで十分かっこいいなという印象を持った。ほかのアーティストがバンドのなかで、楽器ひとつでインストなのに客もめちゃくちゃ盛り上がっていた。というか全体的にお客さんの雰囲気も良かった。一方で途中もはやメディテーションなんじゃないかみたいな荘厳なくだりもあり……。2月にWWWでレコ発やるらしいけど、そちらはバンド体制らしくゲストも良い感じなので行こうか迷う。

和久井さんの演奏が終わったあと、バーカウンターで飲み物を頼む。結局3杯飲んだ。酒があまり飲めないので2杯目以降はコーラとジンジャーエール。喫煙所に出たらぼた雪が降っていて、スクランブルスクエアが霞んで、屋根があまりないので若者たちの髪やジャケットに雪が降り積もり、かなりエモーショナルな光景だった。味わい深く思ってから最後のパジャマで海なんかいかないを見る。ゆるいバンド名に対してソウルフルなボーカルでびっくりした。あとで音源も聞いたけど、ライブの方がずっとよかった。


帰り、終バスに間に合う。もう止んでいたけれど、雪が降ったせいか車通りの少ない明治通りをバスが飛ばしていく。都バスは基本的に安全運転なのだが、珍しく京都市バスくらい運転が荒かった。

バスを降りてちかくのマクドナルドに行く。サムライマックのなんかにんにく醤油ポテトみたいなバーガーが、とてもジャンクな、マクドナルドに求めている味がしておいしかったんだけど、もう終売らしかった。それで仕方なくポテナゲ大を持ち帰る。なんかナゲットはいま黒胡椒のついた衣の別バージョンがあるらしく、それと普通のが両方入っているのを頼んだんだけど、家で見たらどっちも普通のナゲットだったし、ポテトは寒さのせいか冷めていた。それでもお腹が空いていたのですごい勢いで食べた。


  1. アーティストにさん付けするのアレだけど、向こうは私の存在を認知していないだろうが、こちらからは知り合いの知り合いくらいの距離感なのでちょっとさん付けしたくなる。

2023年1月26日 木曜日

九時前に起きる。八時から五分おきにアラームをセットしていたのに鳴動していなくて焦る。iPhoneってたまに画面だけアラームになっているけど音が鳴らないときありませんか? iPhone以外でも目覚ましかけていますが……。

今日は出社奨励日だが、ちょっとまだ行けないと思ったので家で始業して、お昼前の部署の会議に合わせて出社する。そうすると一気に時間の余裕ができたので、起きたときはタクシーで向かってやろうかと思ったが歩いて行く。職場まで歩ける距離に住むことは、一度してしまうともうそれ以外は耐えられない気がする。

通勤途中、なぜか片方だけジーンズの裾をたくし上げた男が路傍に立っていた。思わず見やると目が合って、案外正気の目をしていた。そしてそのとき視界にうつる街のすべての正気さを思った。その男の傍らを、人間が運転している車は何事もなく通り過ぎる。一体どちらが正気なのだろう。

会議を終えて雑多な仕事を済ませて(経費精算とか)、耐えられなくなってきたので昼休みを取る。昼休みは好きなタイミングで取れる。外へ出て歩いていると、水道管から漏れた水が凍り付いてつららのようになっていた。そんな景色を東京で見ることがあるとは。カメラを持ってこなかったことを後悔した。鞄には入っているのだが、オフィスから抜け出すときにカメラを持って出るのがなんとなくためらわれて持たなかった。

ファミリーマートでチキンとおにぎりを買ってそのまま店の前で食べて、喫茶店へ。腹は減ったが、それはそれとして一刻も早く煙草の吸える喫茶店で読書がしたいという欲求の結果。財布からスタンプカードを取り出すと、今日でちょうど二十個たまるようだった。出社すると昼休みは九割方この店に来ている。個人経営のドトールみたいな店で、安い。そのうえスタンプがたまると一杯無料になる。

オレンジジュースを頼んで『八本脚の蝶』を読む。仕事の昼休みに読むべきではない部類の本だと思う。何度も読んだ本なので斜め読みしつつ、考え事をしていた。二階堂奥歯の日記では社会的なことがほとんど排除されている印象がある。それに比べると私は何時に起きたとか天気がよかったとか仕事が暇だったとかそんなことばかり考えている。彼女にはそれよりほかに考えることがたくさんあったのだろう。私はなんだかんだで社会にかかずらってばかりいる。自分の凡庸さを思う。

ほどほどに働き、暮らしてはゆける賃金を得て、昼休みに本を読んでなんとかやりすごそうとしている。ときに欲に溺れ、ときに道を踏み外し、それでも踏み外しすぎずにかろうじてバランスを取っている(何のために?)。人は生まれたときにはみな正気ではない。欲求によって立ち、どこでも泣きわめく。社会性とは訓練された凡庸さの別名だろう。彼女の文章を読んでいると、自分は飼い慣らされた、それでいて有利な、男であるということを意識せずにはいられない。

男権中心主義ファロセントリズムならねど身にひとつ聳ゆるものをわれは愛しむ (黒瀬珂瀾)

そんな、どこまでも月並みなことを考えていると一時間経ちそうだったので、訓練の賜物でオフィスに戻る。それからはわりと熱心に仕事をする。すでにある仕事を進めつつ、今日頼まれたスケジュールに余裕のない仕事を九割方終わらせ、同僚の技術的なトラブルを昔取った杵柄で解決し、仕事をしているうちに判明した上長に報告すべき課題を報告し、と八面六臂の活躍を見せていると定時になり、もう気力がないので帰った。

それなりに疲れたのでタクシー乗って帰るか迷いつつビルを出たら目の前にいたので思わず止める。タクシーに乗ったとしても、実家から会社に通っていた場合の往復の電車賃より安いとかいう謎の正当化をする。しかし終電を逃したわけでもないのに乗るタクシーは経費精算できないが、電車賃はもちろん精算できるし、家賃や光熱費のことを考えると尚更その計算は間違っている。

帰宅して、昼間家を出る直前に届いていた『写真』の一号を少し読む。これはやはり、かなりいい。版元の在庫は今見たら残り一点になっていた。買えてよかったと思う。それからご飯を食べ、風呂に入り、資源ごみを忘れずに出し、なんなら段ボールまでまとめて捨てて、洗い物は放置しているが、わりとよくやったと思いながらこれを書いている。